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  種の会の理念

 

 

子どもって神秘的だと思いませんか? 私は、宇宙に探検に行くのと同じぐらいにワクワクする存在だと思います。子どもは、庭に土と水があるだけで、さまざまな遊びをどんどん生み出します。子どもは、髪の毛をつかむぐらいの喧嘩をしていても、5分後には仲良しになれます。

私が男性でありながら、「保育士」という仕事を選んだのは、この神秘的な世界をどこまでも探求したくてしかたがなかったからです。神戸で保育の仕事をはじめたとき、男性保育士(保父さん)は一人もいなかったと思います。周囲から見れば「めずらしい人だねえ」という事になるのでしょうが、私は全く気にしませんでした。ピアノの稽古も、保育士の資格を取るための勉強もほとんど苦になりませんでした。大学を卒業して、まわりの友人たちが大銀行や公務員として就職していくのを見ていて、うらやましいと感じるどころか、どこか気の毒にさえ思っていました。

「保育に一生をかけて関わっていくことが自分の天職だったんだろう」、幼少期からのさまざまな体験を思い起こすと、今になって私はそう確信します。少し奇妙に思われるかも知れませんが、私は自分が2歳だった時に弟が産まれたときの状況も、3歳頃の出来事やその時々の自分の気持ちも鮮明に覚えています。覚えているからこそ、今、子ども達と接していて、「子どもはこういう状況では、こういう気持ちになるんだ」ということが容易に理解できるのではないかと思っています。

保育園に大切なお子さまを通わせてくださっている保護者のみなさま、これから入園を希望してくださる保護者のみなさま、職員のみなさん。この理念が私のマニュフェストです。私は、子どもたちを支える一人ひとりの方々としっかりと気持ちを重ね合わせて、子どもの成長や発達を共に喜び合えればと願っています。

 

ある日、保育園に来たら、周囲の草がきれいに刈ってあってびっくりしたことがあります。そして、郵便受けを見たら、「雑草がすごく垂れていたので、誠に勝手ながら自分たちで刈らせていただきました」と老人会のみなさんからメッセージがありました。もう本当に頭が下がりました。今でも、その園の周囲の草刈りは、老人会のみなさんが行ってくれています。また、園でお預かりしている支援の必要な子どもたちには、一対一で関われる大人が必要です。地域にお願いをして、「有償ボランティア」を募ったところ、たくさんの方が来てくださいました。私たちもしていただくだけではなくて、園にあるものを「行事で使いたいので貸してください」といわれれば、喜んでお貸ししましたし、地域のお祭りや催し物には常に参加しています。参加して一緒に楽しんだり、困った時にお互い助け合ったりという関係の中で、地域のみなさんが「この保育園のことを支えてあげよう」、私たちは「地域の子育て支援を担おう」という相互の関係が深まるととてもうれしいです。

私は、運営理念として「みんなで、みんなをみる園づくり」という言葉を掲げています。園の保育者が園児だけをみていればいいというスタンスではなくて、地域のボランティアの人たちを含めた大人たちが、園児だけでなく、地域の子育て家庭全体を見ていく、その中心的な役割を担いたいと願っています。そうすれば、園でも地域でも、子どもたちの笑顔が満ち溢れると思うのです。

理事長 片山喜章

 

 


乳幼児には全身をしっかり動かしたい欲求があります。その欲求を引き出すために、幼児は週に1回、乳児は原則、毎日、たくさんの遊具を組み合わせたコースを巡回します。運動欲求を満たすだけでなく、探究心や主体性を発揮する活動でもあります。

 


子どもどうしの関係性を豊かにするために、幼児クラスでは異年齢でいっしょに食事をします。ここでは当番が盛り付けをします。盛り付けてもらう子どもと盛り付けをする子どもどうしで分量について“やりとり”します。当番は4歳児クラスの子どもも混じっていますから、この手法は自然に継承されます。

 


地域の自治会や老人ホームと日常的な連携をめざしています。子どもたちの歌や劇をお披露目したり、ともに折り紙を折るなどの共同作業をしたり、食事をいっしょにすることもあります。法人としては相互訪問したり定例化していくことを目標にしています。

 


組体操は多くの園で行われていますが、当法人の場合は特殊です。だれがだれと組んでどのポジションにつくかは、練習中も本番もその場その場で子どもどうしが瞬時に判断して形をつくります。そこでは戸惑う子どもの姿や助け合い、支え合う場面が見られます。

 


異年齢のかかわりは、「コーナーやエリアでの遊び」や「食事場面」の他に「お手伝い保育」として幼児が乳児のお世話をしています。また、異年齢保育として銘打たなくても、日常生活のなかで自然な形で展開されることもあります。