種の会からのお知らせ

週刊メッセージ“ユナタン”30

≪ユナタン:30≫  in  種の会
今回は「発表会」について、次回は「移行保育」について基本的な考え方をお伝えします。
《生活発表会のお稽古に漂う空気の裏側》

平成29年1月25日 理事長 片山喜章

毎年、2月には「生活発表会」と称して、劇や合唱や合奏などのお披露目があります。
お披露目の仕方は、7園7様で、しっかりした舞台と緞帳があったり、台形の舞台だけだったり、段差のない床の上で演じたり、子どもたちの“熱演”が映し出される背景はそれぞれ異なります。ですから、各園が考える「劇の演出や構成」は、その園の条件によって大きく異なります。

当日、子どもが身に着ける衣装についても様々な考え方があります。「衣装が派手だと子どもの表現をスポイルする(衣装負けする)」とか「衣装を着けた方が子どもの表現意欲は増す」とか業界内でも賛否が行き交います。私個人は「舞台との関係で相対的に考えた方が良い。すなわち、舞台らしい舞台であるほど、衣装は、より華やかな方が良い」と考えます。(各園、任せです)

劇の台本づくりは、子どもたちと話し合いながらも、演出家としての先生が責任を持って創りあげて演出するのが基本だと考えます。先生の演出力によって子どもの表現力は間違いなくアップするからです。けれども、保育者は劇(演出)のプロではないので、そこが悩ましいところです。しかし同時にプロでないからこそ、子どもたちの発想を尊重し、子どもの提案を取り込んで共に創りあげることができます。これは、これで素晴らしい保育になる可能性を秘めています。

《先生が自分自身のセンスを磨きながらしっかり指導し、子どもたちがプレイヤーとしてそれに応える場面》と《子どもから出る提案を先生は尊重しそれに応えて、いっしょに創っていく場面》、この《2つの場面》が、実際のお稽古では絶えずせめぎ合っています。このせめぎ合いからピリピリした熱気が湧き出てきます。そして、それはマダラ模様を描いているように感じられます。きっとこのマダラ模様の熱気が、発表会当日まで子どもたちの意欲を包み込むように感じます。

私自身、直接(ほぼ創作)、間接を含めて70作を超える劇づくりに関わってきましたが、今尚、たくさんの謎を抱えています。なかでも、不思議なのは、お稽古に取り組む時に見せる子どもの義理堅さ、律義さです。日頃、悪ふざけが目だったり、先生のいうことをなかなか聞けなかったり、集団からはみ出たがる子どもたちも、劇の練習では、素直に先生の言うことを聞きます。発表会が近づくにつれてその傾向は強くなります。ということは、このような《期間限定の厳しい体験》が子どもの育ちを後押ししていると考えるのですが、みなさんはどのように解釈されますか?
最近まで劇のお稽古中、先生がカミナリを落とすのは、その先生の“指導力”が乏しいからだと考えていました。自分の力不足を子どもに当たるとは・・! 悪事をはたらいたわけでもないのに、お稽古中に興味を無くしてダラ~としただけで叱られる事に、ガテンがいきませんでした。子どもがかわいそうです。今もその思いは同じです。しかし、子どもはカミナリを落とされても、逆切れ?しないで殊勝な顔をして黙々とお稽古を続けます。昨今、それが不思議でふしぎでなりません。

劇の中では、クラスの仲間全員が何かの役柄になって、日頃使わない言葉を発したり、奇妙な動きを求められたりします。子どもに限らず人にはもともと変身願望が在り、そこが刺激されるので叱られたり、強いられたりすることを、受け入れたり、楽しめたりするのだと考えられます。
自分ではない役柄を演じるという人間だけが抱く“根源的愉悦”(私も一時期、コスプレにハマっていました=冗句)が、お稽古の辛さを押しのけるのかもしれません。また、指導する先生の真剣さやクラスやグループで練習する時のピリピリ感のある空気に浸ると、しぜんに自分を抑制しようと努めるのかも知れません。(ほんとうは、もっと底深い未解明な事実が在るのでしょうが・・)

4,5歳児においては、既に発表会を経験していますから、前年度、あるいは前々年の思い出が大人の何倍ものリアリティを持って一気に押し寄せて(子どもによってはたくさんの台詞を覚えています)、親近感を抱き、達成感を見通しているのかも知れません。本番当日、大勢のお客さんの前に立つ自分自身のことを無意識の世界でイメージできるので耐えることができるのだ、と推測しています。2,3歳児も、毎日まいにち劇のお稽古があり、先生もその時間だけはキリリとしているので、何か特別な事態であることを感得しているように思えます。

また、子どもが大人より優れていると思うのは、先生が厳しい顔つきでカリカリ指導していても、先生の不備や間違いに気づくとその場でしっかり指摘することです。時には「せんせい、ちがうよ」と厳しい口調で詰め寄る子もいます。また、先生の勘違いにみんなで爆笑したりします。子どもたちは従順なイエスマンにはならないのです。最近、特にその傾向が強いので嬉しく思います。
社長や理事長が、マトを得ない話をしても「ズレてますよ」とはなかなか言えない日本の組織風土を思うとき、ある意味、彼らは頼もしい存在で、そのままの姿で成長してほしいと願います。

とまあ、こんなふうに考えると、厳しいお稽古であっても、4週間ほどの期間限定なら、厳しさをしっかり体験することは教育的価値があると言えます。お稽古のプロセスにおいて、子どもたちがイメージをより深く表現し合ったり、子どもどうしで互いに褒め合ったり、各園各様に工夫を凝らすことで教育的価値+豊かさを育もうと、各園の先生たちは今まさに奮闘しているところです。