種の会からのお知らせ

週刊メッセージ“ユナタン”22(はっと・なかはら・なな・池田すみれ)

≪ユナタン:22≫ at はっとこども園
~ 月齢差のある仲間の中で支え合い ~

平成28年9月16日  片山喜章(理事長)

0歳児・1歳児、おひさま組の生活において、排泄の自立は主な課題の1つです。
1歳児の月齢の高いAちゃんと同じく、1歳児だけど少し月齢の低いBくんが、いっしょに排泄に向かいました。2人とも紙パンツの着替えを自分でしようとする気持ちは育っています。
「どれにしようか」「どれにしようかな」と、2人は思案しながら、それぞれ自分で自分の紙パンツ選んで、着替えを始めました。

突然「できなーい」と叫声が聞こえました。Aちゃんが“手伝ってほしい”と訴えたのです。そこで保育者が援助し、パンツ・ズボンも自分ではくことが出来ました。一方、Bくんは自分の紙パンツを選んだけれど、着替え用の椅子に座ったまま。どうやら“マイワールド”に入ってしまったようです。保育者がいっしょにしようと誘って、手伝いはじめても、クスクス笑いながら、体をクネクネねじって拒み、着替えようとしませんでした。そのBくんの様子を、Aちゃんは、保育者の横で、じ~っと見ていたのでした。(何を思ってみていたのでしょう?)

それを察知した担任は、すかさず「Aちゃんに少しお手伝いしてもらう?」とBくんに誘いかけると(何と)「うん」と答えたのです。保育者があの手この手でお手伝いしようとしたのに、少し月上のAちゃんならOK!Aちゃんは自分が頼られていることを感じたらしく、担任の「お手伝いしてくれる?」のお願いに快諾し、ズボンは「こう向き?」と担任に確認しBくんの前に座り、ズボンに足を通すよう促しました。ズボンに足を通してもらい、さらに「たっちして」と言葉をかけられ、Bくんは照れくさそうな表情を浮かべながらもAちゃんの「援助」を素直に受け入れて着替えることが出来ました。担任が「Aちゃん、ありがとう、助かったよ」と言うと、Aちゃんも、そしてBくんまでも満足そうな表情をして、2人で手を繋いで遊びに戻りました。

別の日の食事の時間。食事スペースへ向かうBくん。自分の口拭きタオルを取って、席に着くかと思えば、隣のテーブルの周りをうろうろ。保育者が「ご飯食べよ~」と誘いましたが行こうとしません。食事が大好きなBくんなのに…?と見守っていると、食事のベビーチェアに座っているCくん(0歳児)の所に向かいました。そして、消毒用ボトルを持って「シュッシュ!」と言いました。保育者が「Cくんにシュッシュだね」と言うと「うん」と頷き、保育者に手を添えられてかわいい、かわいいCくんの手に“シュッシュッ”してあげました。「やってあげたよ」と若干、ドヤ顔になって自分の席に戻って、自分も“シュッシュ”をして食事を始めました。
同じクラスのなかで、弟になったり、お兄さんになったりするBくんでした。
0歳児・1歳児、おひさま組では、おやつ後の時間や雨の日等、リトミックをしています。
リトミックといっても、動きは初歩的な身体表現ですが、子どもたちは曲を聞きわけることができます。「おうまさんの曲」「ワニさんの曲」「カエルさんの曲」「うさぎさんの曲」など、それぞれ、それらしく動きます。このような取り組みは、少しの時間でよいので、毎日まいにち、続けることが大切です。なぎさ組のふれあいタイムも、サーキットをする前の5分間くらい、毎日まいにち、続けています。それが結果的に運動会のとき、実を結びます。

0歳児グループは、4・5月頃、パーテーション越しに、1歳児のお兄さん、お姉さんたちが動いている場面を見ていました。見るというよりも、そこに居ました。「しても、しなくても」また、「見ても、見なくても」、そこに居ることが大事で、大きな教育的な意味があります。
場を共有することが、0歳児にとっては、学習効果をもたらすと考えられています。ピアノがなって1歳児が動き出しても、全く気に留めず玩具をなめなめしている子、何をしているんだろうとジーと見ている子、曲が流れると、時折、手を動かしたり身体を揺らしてリズムをとる子などなど、さまざまな姿がありました。

そんな日常のなかで、歩行が安定してきた0歳児αちゃんが「おうまさんの曲」が流れると、ハイハイの体勢をとるようになりました。αちゃんなりに見よう見まねで動いて、おうまさん気分を味わっているようでした。『親子でメリーゴーランド』(手を繋いで輪になる曲)では、自然と1歳児が0歳児を誘おうとする姿が見られるようになりました。当然ですが、1歳児が誘いかけても応じないで、その場を立ち去ろうとする0歳児もいます。
「手を繋いでくれない・・・」としょんぼりする1歳児の姿もありますが、0歳児にしてみれば大きなお世話です。けれども日頃からいっしょにいる月齢の近いお兄さんお姉さんですから、拒否しても、どこか申し訳なさそうな顔をする0歳児もいます。これが4、5歳児なら嫌がるような顔をするかもしれません。そして、1歳児が「おてて」と言いながら誘うと、0歳児のなかには律儀?に手を繋いでもらい、膝を屈伸させながら、お付き合いする姿も見られます。

乳児でも、月齢が近いと、“すすんで助けてもらおうとしたり”、逆に“お世話しよう”とする姿が極自然に育まれるようです。ほんとうに不思議であり偉大です。昨今、保育界では「赤ちゃん研究」が注視されています。様々な《観察》がなされて、赤ちゃんの有能性がどんどん解き明かされていますが、私には独創的な《確信》があります。保育者がしっかり観察することが最も大事だという考え方です。保育者の《観察行為》が子どもどうしの関係性を豊かにするという、量子学の考え方をアレンジしたものです。0、1歳児がいっしょになったおひさま組の保育は、年々、豊かになっています。環境を整え、レイアウトを変え、試行をくりかえしましたが、何より、観察する習慣を保育者集団が体得したからだと考えます。 【資料提供:能宗&全職員】

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≪ユナタン:22≫ at なかはらこども園
~ 協働する力の源泉 ~

平成28年9月20日  片山喜章(理事長)

なかはらこども園では「やりきるクッキング」と称して、同じグループのメンバー5~6人で毎回、カレーづくりをします。メニューもメンバーも毎回、同じにするのは、一般のクッキング保育と違って「協働作業の経験」、「仲間意識の醸成」を第一の目標に取り組んでいるからです。(4月から1つのグループは4回、同じことを繰り返しています)。しかも、この取り組みは、ここ数年、毎年、続いていますから、ばんび組、くま組の子どもたちも、ぞう組さんになったらできることを知っていて、いまから心待ちにしている子どもさえいます。

8月末、関西の姉妹園4園の栄養士が集う「食育プロジェクト」が、本園で開催されました。その際、この「やりきるクッキング」を見学しました。事後、とにかく「驚いた」とのことです。
「包丁、ピーラーが、グループに1つずつしかないのに、すべてのグループにおいて、揉めたり、取り合いにならなかった」、そんな子どもたちの振る舞いに感嘆したようです。そして、このような姿は、ぞう組になって「やりきるクッキング」をしはじめたときから、既に揉めることもなく、毎回、話し合いで解決し、同じようなやりとりをしながら、見事にやりきっていました。
A「私、ニンジンの皮むく!」
B「じゃ、ぼくは玉ねぎ」
C「わたし、ジャガイモ」
D「私もニンジン…Aちゃん半分こしよ!」
A「そうしよ」
E「じゃ、ぼくは皮を捨てる係りするわ」
F「じゃ、私は剥くものないからコーン鍋にいれる係りする」
みんな「いいよ」

ア「わたし、にんじんとなすびやりたい(切る、皮を剥く作業)」
イ「ぼくもにんじんとなすびしたい」
ウ「ぼくだってやりたい」
ア[じゃ、どうする?」
イ「じゃんけんで決めよう!」
ア・ウ「いいで」‥…じゃんけんをし、イとウがにんじんとなすびを担当。
アは、たまねぎとじゃがいもを担当することになった。
というような姿が、常態化しているとのことです。一体全体、どうしてなんでしょう?
その秘密は、昨年、4歳児くま組のときからはじめた「グループ活動」「当番活動」です。
このようなクラス運営は、姉妹園の“ななこども園”(藤井寺市)が7年以上前から、先進的に取り組んでいました。昨年、何度か見学し、それに習って、しっかり自分たちで答えを出すまで話し合う対話中心の保育を強く意識し、当番活動もどんどん日常保育に取り入れてきました。

カレー作りをする前から、「グループに包丁とピーラーは、一つずつしかない。ならば、どうすれば、うまくいくか」と考えていました。「自分がしたい気持ち」と「譲る気持ち」の対極にある心理が、その子その子の中で、そしてグループの中で揺れ動き、混ざり合います。
しかし、最終的には、「カレーを作りきる」というミッションを子どもたちなりに会得して、
自分たちの気持ちを整えようとします。全員の気持ちが「カレーをつくりきる」というところに底上げされるまで対話を深める、その習慣が、グループ全体に及ぶと、おのずとトラブルは激減します。また、1回きりの活動ではなく、「同じメンバー」で話し合い「同じカレーづくり」を
くりかえすことで「譲歩し合うこと」がしぜんに「納得」に進化すると考えることができます。

このような保育がうまく機能した背景には「担任が1人」ということがあります。くま組の時から持ち上がって30名の子どもを1人の担任で担いました。保護者感覚で言えば、子どもの数に対して、先生の数が多いほど「安心」であり、「行き届いた保育ができる」と考えます。
確かにその面はあると思います。けれども、子どもたちがしっかり話し合う習慣を身につけたのは、1人の担任の思いに集中し、感じ取ったからです。競技スポーツでも、監督の思いを果たそうとチームワークがはたらきます。複数担任の場合、子どもたちも、保育者自身もどこかで、依存し合って、担任自身が「やりきる保育」(?)を発揮しづらくなると考えられます。

もちろん、「やりきるクッキング」などを通して、しっかり話し合い(対話)をし、トラブルがないからといって、すべて素晴らしい子どもの育ち(保育)になるとは考えません。我を通し、わがままになる経験、我が通らず、大荒れになる体験、その時々に味わう感情もまた必要だと思います。何があっても、最後は「探求心」と「自分大好きの気持ち」が育ってほしいものです。
「話し合い」と「当番活動」の保育については、現在、くま組でも、定着をめざして実践し、ばんび組、あひる組においても試行しはじめています。

なかはらこども園では、ご承知のように「異年齢での活動」もたくさん取り入れています。
コーナー・ゾーンでの活動では、自分の好きな遊びに興じ、年長児の遊ぶ姿に憧れを抱いて、真似たり、年少者のわがままをやむなく容認したり、自然な気持ちが揺れ動きます。そんな
自然な自分と対話する力を身に着けて協働性のある活動に取り組むカッコイイ自分の両者が、
行ったり来たりしながら、その子らしく成長するのだと思います。 【資料提供:宮﨑友喜】

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≪ユナタン:22≫ at ななこども園
~ 転がす魅力、膨らむ魅力が織りなす仲間意識 ~

平成28年9月23日 片山喜章(理事長)

運動会の練習もそろそろ佳境にはいります。
4歳児あさがお組のAちゃんは、4月当初から、クラスの友達とはあまりかかわろうとはしませんでした。どちからといえば、1.2歳児クラスの子に親近感を持って、一緒にいると安心するようです。2歳児のサーキットや水遊びに自分からすすんで参加しようとします。給食後の自由あそびでも、キシャの玩具などで2歳児の子ども達と一緒に遊ぶ姿も見られます。それでも、あさがお組の子どもたちは、Aちゃんのことをよく知っていて無理に誘うこともなく、Aちゃんの方から近寄ってきた時には「Aちゃん、どうしたん? いっしょに遊ぶ?」など、ごく自然に声をかける姿が見られます。

運動会の練習を始めた頃のことです。まだ「いろいろお試し競技期」でした。単純な競技やこれまで運動会で行った競技種目を色々くり返して、協力を伴う多彩な“動き”を経験しながら、子ども達とともに「本番用の種目」を決めていく時期です。このような練習方法が、教育として望ましいと、当園(当法人)では考えて実践しています。

その日、大玉競技をしました。2人1組になって大玉を転がして進み、途中に2箇所、平均台を横向きに置いたハードルを大玉が乗り越えるよう、2人で力を合わせるところがあります。たまたま大玉が1個しか用意できなかったため(空気を入れるのに時間を要します)対面式で行いました。2人でスタートして、反対側の2人と交替します。
子どもたちは競う相手チームがないのに、自分(たち)の番が来たら、目をキラキラ輝かせて大玉を転がし、平均台のハードルにぶつかると必死に力を合わせて押し越えて、また転がし、行ったり、来たりのくりかえしを何度もなんども楽しんでいました。

そんな、あさがお組の大玉転がしに対して、Aちゃんは、と言えば‥…
スタートして間もない時から、ほぼ最後まで、転がる大玉の魅力に誘われるAちゃんの姿がありました。2人ずつの順番を待って並ぶことはなかったのですが、満面の笑みを浮かべて、大玉をいっしょに転がしていました。2人1組(のつもり)だったのですが、Aちゃんは、ほぼすべてのペアといっしょに参加しました。大玉は、概ね3人1組で転がっては、横置きの平均台のハードルを越えて、また転がる、という状態でした。

それに対して、クラス子どもたちは、と言えば…‥‥。
ごく自然にAちゃんを仲間として受け入れていました。大きな球体が転がる(転がす)ことが、みんな楽しくてしかたない、といった感じです。しかも、途中にハードルがあって、一旦、止まって持ちあげることは、一層、おもしろく、Aちゃんの興味をさらに強めたのでしょう。もしも、2人でおみこしを担ぐ競技ならどうだったでしょう。
まず「2人1組」のルールを守らせようと大人は考えてしまいます。大玉を転がし、途中、力を合わせてハードルを越えるおもしろさの中に、日頃、かかわりの少ないAちゃんが参加して3人組になるのは楽しい、Aちゃんの参加を嬉しく思う子どもたちが、大勢いました(この時期、エンドレス方式で勝敗のない競争にする大事さを再確認)。

次にパラバルーンでの出来事です。大きなバルーンに触れる前に、お部屋にある手作りバルーンで遊んでいると、Aちゃんも一緒に入って遊ぶこともあり、手作りバルーンにくるまって楽しむこともありました。大きな布に体を巻き付けたり、くるまることは、だれもが愉悦を感じる触覚です。バルーン自体に親しみをもったAちゃんでした。

そして、この日、みんなで大きなパラバルーンを握って、広げてバタバタすると(波を立てる)、Aちゃんはス~とバルーンの中に潜り込んで、仰向けになって寝転んで頭上で揺れる“お空”を眺め、バタバタという音や空気の動きを全身で感じ取っているようでした。何人かの子は、Aちゃんのためにバタバタ動かしているようにも見えました。

パラバルーンをみんなで高く持ち上げ、一気に降ろしながら中に入って、お尻で押さえて大きなドームをつくったときのことです。中にいると、まるで“別世界”にいるようなワクワクした気分になります。ドームの外から保育者が両手を広げて“ガオー”と寄りかかるとドームは凹みます。まるで怪物がドームを壊したような状態になり、子どもたちは「ギャー!」と大声をだして、怖がって、面白がります。怪物がいなくなると「もう1回!」と中からアンコールの声があがり、怪物はその度に応じます。中で1つの円になって座り、一体感のある“別世界”の中でスリルをわかちあって楽しみます。

「じゃ、次でおしまいしよう~」と、一旦、外に出て、バルーンを上にあげて,一斉に中に入ろうとした時、Aちゃんだけが中に入れずに、右往左往する姿がありました。
“*‥*‥*‥*”、突然、ドームの裾に穴ができ「Aちゃん、速くおいで、速く!」(怪物が来るから速く)と中から大きな声が聞こえます。Aちゃんはその穴に吸い込まれるように中に入ることができました。ドームの中では、(よかった、よかった、Aちゃん、怪物に襲われなくて)という気持ちが、きっと充満していたにちがいありません。
そこは“別世界”ではなくて子どもの世界、日頃の園生活です。 【資料提供:徳畑等】

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≪ユナタン:22≫ at いけだすみれこども園
~ “いきものがかり”の奮闘記  ~

平成28年9月16日  片山喜章(理事長)

草むらを分け入って、虫を探したり、そっと手で摘みあげたり、お世話をしたり、むかしも今も子どもたちは、特に男の子は虫が大好きです。そんな子どもたちの思いや願いを受けとめようと、本園では、“いきもののかがり”と称して、男性のH保育士が、使命感を抱きながら、その任にあたっています。そんなH保育士は、ちょっとした悩みを抱えていました。

ザリガニ、カブトム、沼ガニ、あげは等々、自分自身の生き物好きを活かして、10種類以上の小動物を収集していたのです。しかし、それらを保育として、どのように子どもたちと出会わせ、触れてもらえばよいか、思案していました。はじめは、2階のクラス前の廊下に「ケース」にいれて展示しました。子どもたちが「ケース」に群がるのは、多くの場合、外遊びに出ようとするとき、外から戻って入室する際、そして登降園時です。

外からお部屋に戻る場合、担任には入室したあとの予定があります。けれども時折、階段を上がって入室する前に、子どもたちは“いきものがかり”のH保育士を捕まえて、廊下で虫について、いろいろ会話します。その眼はきらきらして、H保育士も活き活きと子どもたちの疑問や質問に答えます。会話が弾みます。となると、クラスの仲間全員が、なかなかそろいません。
クラスのお部屋に居る担任の先生たちの「思い」や「視線」が気になります。特に降園時は、お迎えの保護者の方と重なる時間帯で廊下がごったがえして、あまり良くない状態でした。

そこでH保育士は考えました。
「そうだ、思い切って1階の玄関付近に降ろしてみよう」。間口は広く、乳児クラスの子どもたちも生き物たちとふれあうことも可能です。全体の了解を得て、虫や生き物たちを玄関近くに置くことになりました。これで「いつでも、だれでも、好きなときに、好きなものを見ることができる!」とH保育士は意気揚々となりました。が、また、次に問題が起きました。

「生き物エリア」が一か所になったため、「いつでも、だれでも良い」となると、「生き物エリア」が、バーゲンのワゴンサービス状態になり、大勢の子どもが群がって、観察どころではなくなってしまいました。実際、発言力の強い子、声の大きい子がだいたい周囲を取り囲んで、占領する状態が続きました。「ぼくが触りたい」「ぼくが世話したい」と大きな声で訴えてこられると、ついついその子どもたちの勢いにH保育士も圧倒される場面がありました。しかしその陰には、やりたいけれどできない、寂しく不満を抱いている子がいる事を彼は、充分わかっていました。
「さてさて、どうしたものか。これはイカン」。できるだけ多くの子どもたちに、虫を好きになってもらい、お世話もしてほしい。自分自身がそう願って、園からもそう期待されてはじめた“いきものがかり”の仕事なのに‥…。またまた、工夫が迫られたのです。

そこでヒントになったのが、幼児クラスの環境になっている「2つの時計」(1つは現在時刻、もう1つは次にすべき事とそれを開始する時刻=動かない時計)です。子ども自身が、視覚によって見通しをもって、自分の振る舞いや“いま”を理解しやすいように設定した環境です。

これまで、虫たちに触れたり、お世話するのは「自由」でした。「自由」は時と場合によって、混乱や不平等を招きます。そこで目に見てわかる「(止まった)時計」のアイデアを用いました。
まずは、「何時から世話をするのか」を「時計」で伝える。「今日は何の世話をするのか」それを「虫のカード」を作って掲示しました。「いつでも」「何でも」ではなくて、その日は、例えば、「カブトムシとカニ」というようにたくさんの生き物たちから2~3種類に絞り込んで、掲示しました。さらに「コーナー・ゾーン」のマグネットボードに習って、人数制限も設けました。

このような制約を設けることによって、子ども集団には「平等性」や「納得」が生れます。
制約がなければ、したい気持ちが先だって、とにかく、大きな声で言った者勝ち、先に行った者勝ち、になってしまい落ち着いた園生活を築くことができません。
制約を設けたとたんに「時計」を見て子どもが参加するようになりました。毎日、種類が変わりますから、自分が世話したい生き物のときに行こうとする子の姿が増えました。人数制限があるので、一人ひとりがお世話できる時間が長くなり、せかされることなく、ゆっくりできるようにもなりました。毎日、「視覚情報」が、子どもたちに届くので、それが「安心」や「納得」、そして、「我慢」する気持ちを自然に育みます。このような「生活規範」をつくっていくことが「落ち着いた保育の基本」であると考えます。H保育士なりのがんばりでした。(パチ、パチ、パチ)

これから、さらに新たな保育課題も生まれるでしょう(実際、起きているかもしれません)。
虫を触りまくることは、早死の原因になります。また乱暴に扱うこともあります。こんなとき、どうすればよいでしょう。(私自身、幼少期、ずいぶん残酷な扱いをしてきました。個人的感想ですが、時代の進歩とともに、残虐な扱いをする子の数は激減し、慈しみを抱く子が増えていると思います)

今、生き物たちがしんだとき、なんでだろう?と話し合ったり、お墓をつくって土に還したりしているようです。今後は、ただ単にお世話するだけでなく、その生き物について、図鑑や保育者と共にネットで調べる環境や日常をつくって、実際に触れながら「知識として理解」することも「生き物への愛情」と捉えた保育を展開すると期待しています。 【資料提供:星野 悠也】