種の会からのお知らせ

週刊メッセージ“ユナタン”22(もみの木台・みやざき・世田谷はっと)

≪ユナタン:22≫ at もみの木台保育園

~ ドミノにならない!?(援助の仕方を考える) ~

平成28年9月15日: 片山喜章(理事長)

 朝のコーナー遊びの時間、A君(2歳児クラス)は「おままごとコーナー」で遊んでいました。
その隣の「積み木コーナー」では、Y先生と数名の子どもたちがドミノ倒しをしていました。
ドミノ倒しでは、Y先生が並べたものを子どもたちが倒す遊びで、順々にドミノ(積み木)が
倒れるたびに“ワ~~”という歓声が子どもたちからあがっていました。
“なんだか楽しそうだな~”とその歓声につられるように、「おままごとコーナー」で遊んでいたA君は「積み木コーナー」にやって来て、倒している様子を見ては、他の子どもたちと同じように、「すごいね~」と言いながら目を輝かせていました。

物が一度に倒れるのではなく、順々に倒れていく姿は、魅力的なのかもしれません。物事に始まりがあって、終わりを迎える時間の流れを実感するのかも知れません。打ち寄せる波もそうですし、ホラー映画の徐々に迫り来る恐怖もまた人間の中に潜んでいる性なのかもしれません。

順々に倒れるドミノを何回か見たA君は、自分でしたくなったようです。しばらくすると少し離れたところに行って、ドミノ倒しを始めました。けれども、少し並べて倒してみましたが、倒れませんでした。なぜなら、A君の造ったドミノは間隔が狭く、積み木どうしがくっついたままで、押しても傾くだけで倒れまでに至らないのです。何度トライしても倒れませんでした。

2歳児のA君にしてみれば、積み木どうしの間隔が広くないほうが、倒れる力が強くなる、と感じるのでしょうか、何度、試しても、積み木どうしの間隔は広がりません。
とうとうA君は「できない」とY先生に訴えてきました。その様子をずっと見ていたY先生は、保育者としてのかかわり方を考えます。要領を伝えれば、それで済むことなのですが・・・・。
Y先生は「どうしてだろうね?」とさらっと声をかけました。A君は、“もどかしさ”を先生に説明するために、実際にやってみせました。並べていた積み木を一度崩して再び並べました。
けれども、並べ方は同じです。間隔は狭いままです。そのとき「間隔を開ければよいのに」と教えてあげることもできましたが、Y先生の気持ち(考え)は、倒れませんでした。

その後も何度か、“並べて⇒押して⇒倒れないから崩す。並べて⇒押して…”を繰り返すA君でした。粘り強さを感じるほどです。Y先生は、その隣で他の子どもたちとドミノ倒しの続きをしました。(A君、気づいてくれればよいのに、という思いがよぎります)。けれども、A君は、その輪に入ることなく、なんとか自力でドミノが倒れるようにがんばっていました。
そんなA君に思いもよらぬことが起きました。「違うコーナー」で遊んでいた子どもが来て、理由は定かではありませんが、A君が並べていた積み木を1つ取って行ってしまったのです。
おもわずA君は“とらないで!”と訴えます。悔しくて必死に返してくれるように訴えましたが、戻ってはきませんでした。その子どもがとった積み木は、たまたまいくつか並べていた間のものだったので、積み木と積み木の間の間隔が広くなりました。間隔の空いた積み木をじっと見て、そして、隣で並べていたY先生の積み木をそっと見て、A君は、しばらく見比べていました。

何かを思いたったのか、何かに気づいたのか、A君は「返して!」と訴えることをやめて、自分のドミノの端の積み木を押してみました。すると、ほんの少しドミノのように積み木は倒れました。A君は、さらに隣で並べているY先生のドミノ倒しを観察しながら、間隔を広くあけて、積み木を並べ始めました。(!!!)それでもまだ間隔が狭かったり、逆に広すぎたりして、うまく倒れないこともありましたが、「原理」は、感得したようで、全部うまく倒れると嬉しそうな表情になり、ドミノ倒しを楽しむことができました。

このエピソードをY先生は、振り返ります。
最初にA君が「できない」と訴えてきた時、「どうしてだろう?」と声をかけただけで、一緒に積み木を並べたり、並べ方を伝えたりしなかったのは、A君がみんなでしている輪に入らないで自分から進んで、積み木を並べようとチャレンジする姿があったこと。そして「やって!」と自分(Y先生)にお願いしなかったからだったと言います。さらに「できない」という訴え(発言)は、“どうして倒れないんだろう?”と必死に考えた故に出た言葉だと感じ取った、と振り返ります。もしも「できない」と言ってきた時、多くの保育者(大人)がするように「こうするんだよ」と伝えていたら、何度もチャレンジし、考える機会は持てなかったでしょう。

今回、偶然、友達に積み木を取られたことで「本来のドミノ倒し」に気づくことができたA君ですが、もしも、このアクシデントがなければ、どうだったでしょう。
少し時間がかかっても、気づいたかもしれないし、その日はそのまま達成感を味わうことができなかったかもしれません。だれもわからないし、そんな仮説を考えること自体、無意味だと思います。それよりも、保育者が、その子のその場面、その瞬間のほんとうの願いを読み取ろうと努め、必要な援助の仕方を探りだそうとすることこそ、まさに保育(者)の極意と言えます。

A君の願いは明らかに「自分の力できるようになりたい」でした。それを察知するには、常日頃から「自分で考える子ども」「自分で試そうとする子ども」という理念を保育者自身の器の中に叩き込む必要があります。いま、教育界は「正解主義」から「考える教育」に改革しようと動き始めました。今回、1つのモデルを提供したような事例でした。 【資料提供:佐藤 廉菜】

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≪ユナタン:22≫ at  みやざき保育園
~ 興味・関心から探求心へ ~

平成28年9月20日 片山喜章(理事長)

 3歳児みかん組で飼っていたカブトムシが、しんでしまって、お帰りの後、園庭に埋めることになりました。クラスの中でも大のカブトムシ好きのAくんは、いつも「カブトムシだしていい?」と時間を見つけては担任にお願いして、かごから取り出しては触って楽しんでいました。小さく不思議な形をしながらも、そこには命があって、いろいろ考えながら動いて生きている昆虫の姿は、興味・関心をそそり、可愛さを感じます。
大好きなカブトムシのうちの1匹が死んでしまって埋葬(?)するとき、Aくんは、どんな気持ちだったでしょう。

園庭にでるとBちゃんが弱っているセミを見つけて捕まえて遊んでいました。それを見たAくんは、「かわいそうだよ!優しく触らないとだめだよ」と声をかけ、すでにしんでしまったセミを見つけると「動かないね」「かわいそうだから埋めてあげよう」と言って、自分で土を掘ってセミを埋めてあげていました。Aくんはどんな気持ちで、セミを埋葬したのでしょう。寂しさ? はかなさ? いのち? じぶんという存在?

5歳児りんご組の男の子たちも、虫が大好きです。むかしも今も変わらない姿です。園庭にはヤモリがいます。虫好きの少年たちは当然、トカゲとの違いをしっています。
先日、園庭にいるヤモリを発見! 木の穴に入り込んでいます。やすやすと捕まえることはできません。そこで相談。「細い棒でつついてみよう!」とつついてみると……、
“出て来た!”のですが、物凄い速さで木の上まで登って行ってしまい、また、相談。
ア:「罠を仕掛けておこうよ!」 イ:「ヤモリは夜に光っているところに集まるはずだから、懐中電灯とか、何か光るものがほしい!」。他:「夏祭りでもらった、光るブレスレットは?」「それいいね!」ということで、事務所の先生にお願いして、木の穴の入口にエサとして刻んだニンジンを大量に仕掛け、そこにブレスレットを光らせて、一晩置いておくことにしました。

さて翌日、木を見てみると、仕掛けたニンジンがすべてなくなっていました。
「やっぱり!ここはヤモリの巣なんだ!」と子どもたちは得意げな表情で大喜び♪
その日の夕方、意気揚々とまたまた、相談。今度は“ヤモリホイホイ”と称して、箱を作って、また仕掛けていました(箱の中には粘着成分を入れていませんでした)。
結局、捕まることができないまま、お盆休みに入ってしまいました。
子どもの興味・関心は、猛暑のなかで熱くなっても、時が立てば冷めることも多々、あります。お盆明けには、「ヤモリ捕獲作戦」は無くなっていました。けれども、いつまた再燃するかもしれません。子どもの興味・関心は、絶えず目の前に在るものに刺激されて生れでます。そこでの出会いや自分の行動の結果から学習することが多いのです。
「ヤモリホイホイ」のアイデアにしても、子どもたちは常日頃からコーナー・ゾーンによる制作環境の中にいるので「つくる」ことへの興味・関心は高く、難なく「つくる」ことを思い付き、即座に実行できたのでしょう。

お盆明けには、カブトムシが卵を産み幼虫になりました。ザリガニも赤ちゃんを産みました。りんご組の子どもたちにとっては、嬉しい出来事が続きます!
いまのりんご組は、4歳児ぶどう組の時もカブトムシを飼いました。でも、みんなで1日中よく触って遊びすぎたためか、早くしんでしまいました。
昨年のりんご組も飼っていて、そのカブトムシたちは長く生きました。お世話の仕方に何か工夫でもあったのでしょうか。実は、図鑑等で飼い方を調べていたのでした。

昨年の卒園お祝い会では、いまのりんご組はぶどう組として、卒園児に対して「お祝いの言葉」をみんなでいう場面がありました。みんなで考えたそのときのセリフが‥‥
「あやとり教えてくれてありがとう。」
「給食当番してくれてありがとう。」
そして、「カブトムシ、大事にしてくれてありがとう。」でした。

今年は、去年のりんご組に習って「どうしたら、飼っている虫たちが長生きするか」、「どんなタイミングで赤ちゃんが生まれるか」など、単なる虫好きにとどまらないで、「興味・関心」が「好奇心、探求心」へと飛躍したのでした。“かわいがる”とは、もて遊ぶ事とは違い、図鑑を観て、飼い方を調べて、虫を理解し、お世話の仕方を考えるという事です。そんな姿に変容しつつあるりんご組の子どもたちです。
(今年度、カブトムシは、幼児クラスごとに飼いました)。

こんなふうに、子どもたちがカブトムシやザリガニなどの生き物に接して、きちんと調べて、お世話をするようになった背景には、飼育の文化が3歳児、4歳児、5歳児と日々の保育の中でしぜんな形で伝承されているからだと思われます。
そして、首都圏の駅前にある保育園なのに、虫たちがたくさん棲んでいる園庭のある環境に感謝せざるを得ません。※ きっと、みかん組のAくんもりんご組になる頃には虫博士になっているに違いありません。   【資料提供:谷川真由/川崎かおり】

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≪ユナタン:22≫ at 世田谷はっと保育園
~ 給食アナウンスのレシピ ~

平成28年9月20日  片山喜章(理事長)

♬ピン、ポン、パン(例えば)「きょうの、きゅうしょくは、伊勢海老のおつくり、と、フカヒレスープと・・・」と、毎日まいにち、12時前になると館内放送が入ります。アナウンスするのは、つばさ組の子どもたちです。その日の献立と、ちょっと知らせたいこと(今日は中秋の名月です)、そして放送の最後には自分の名前を言って終了です。「園全体に放送する使命を担って、(先生が作成した)原稿を読みあげて、度胸をつけること」と「その日の献立や食材の名称を知ってもらう、いわゆる食育の一環」として新年度早々、にわかに始まりました。このような初物の取り組みは、取り組みだしてから《紆余曲折》を経て、定番活動になるのが一般的です。

当初、ぶっつけ本番で原稿を読んでいました。読み方が途切れ途切れになるので、そこを改善し、今は、放送前に事務室で“下読み”をしてから放送しています。毎日、給食前に「今日は誰がするの」と尋ねて、“自分がやりたい”という意思や主体性に委ねていました。何となく子どもたちの間で、順番があるような、ないような…。結果的に全員経験しましたが、ふたまわりくらいしだした頃から、アナウンスすることへの興味が徐々に薄れていく感じがしてきました。

そこで、子どもたちと話し合いの場を設けました。「今後も、つばさ組で続けるのか、そら組に譲るのか」という選択から話し合いは始まりました。「つばさ組がする!」とみんなが声を上げました。このようなケースでは、ふつう“では、する順番を決めよう”となりがちですが、子どもたちの中に主体性を重んじる価値観が育った?のか、事前に献立を見るなりして、やりたくなれば、自分から“やりたい”ときちんと申し出て、アナウンスをする、と決めました。このような決め方をした事でかえって“クラス全体の意欲”が、とろ火から強火に変化しました。

お家で献立を見てくる子、園で先生にその日の献立を聞いて申し出る子、アナウンスしたい子にその日の献立を教えてあげる子、毎日、ふしぎな形の“やる気”が現れ出ました。
そんなある日、AちゃんとBちゃんが、献立をお家でメモして持ってきました(意欲満々)。その日はプール遊びがありました。プールでは、水遊び中心の「ちゃぷちゃぷチーム(前半)」と、泳ぎ中心の「すいすいチーム(後半)」に分かれて、その時々の気分によって各自が選択します。
後半は他のクラスが給食をはじめる頃にあがるので、アナウンスタイムには間に合いません。そこでAちゃんは、前半を選び、泳ぎを楽しみたいBちゃんは後半を選びました。
Aちゃんは、早々に事務室にやってきて「私がします。原稿もお家で書いてきましたから」といって事務室にいた先生たち(私も居ました)を驚かせました。さてこの先、どうなるやら…
「じゃ、おねがしま~す」と事務室にいた先生は、あっさりAちゃんにマイクを預けました。
一方、プールをあがったばかりのBちゃんは、Aちゃんの声が館内放送で響き渡ると、窓越しに事務室を覗き込み、アナウンスするAちゃんの姿をじっと見つめていました。 「‥……」。
この《状況》を把握した私たちは(私も園長も全職員)“このままではよくない”と数日かけて、そもそも論から話し合い、あれこれ提案し合いました。が、最終的に決まったことは、やはり、“子どもたちに今回の《状況》を話して、意見を出し合って、解決策を出す”でした。

まず、みんなはどうしたいか2グループに分かれて話し合うことになりました。①のグループはドキドキしてしまう子から順番にする案を提示し、②のグループは低月齢順にやる案を提示しました。そして、それぞれ意見交換しわかちあいました。2グループとも、ドキドキしてしまう子も「自分もする」と言い、全員がこの役割を担うことで一致しました。
次は順番です。この時に優先されたのは、放送するのが恥ずかしく避けてきて子たちの意見でした。「どうしたい?」と聞かれたCちゃんはみんなに「ドキドキするから、先にやりたい」と言いました。「それならCちゃんからやろう」と即決。そして、Cちゃんの後は、月齢の低い順に決まりました。どうしても恥ずかしくて言えないときは、助っ人をお願いしても良いことになり、給食当番の中から、1名を選んで、いっしょに行くことも了解されました。

「決まったこと」を園長、副園長に子どもたちが報告に行くと「いいですよ。でも担当の子がお休みの場合どうする? 家で準備したかった子は困ってしまわないかな。順番もわからなくならないかな。もう一度決めてきてね」と言われ、再度クラスで話し合いました。そこで決まったことは「月齢の低い子から」「サポートは1人だけ」そして「お休みのときは、そらぐみにお願する」。さらに、アナウンスをする際、「11時55分に事務室へ行き、入るときは“名前”を言って“しつれいします”と言ってから入る」。終わったら「ありがとうございました」とあいさつし、事務室をでる時は「しつれいしました」と言ってドアを閉める。と休んだ時の順番を決める話し合いに、いっぱい、いっぱい《おかず》がくっついた話し合いになりました。

本園では、話し合いの習慣(文化)が、かなり定着してきたようです(保育の基本です)。
また、ドキドキしてしまう子への配慮、そして、ドキドキしてしてもやると決意する子など、個々のこころの成長も感じます。小さい子(月齢の低い子から)から、と意見が出た背景には、ゲームコーナーの中の1つのゲームに「プレイヤーの中で1番年下の子からスタートする」というルールがあります。それが影響したなら、このゲームの栄養素が機能した気がします。
(例えば)「‥‥、……、きょうの おやつのクラッカーには キャビア がのってます、…‥」と毎日1分程度のアナウンスです。しかし、そこには、上記のような“下ごしらえ”や“下味”が施されていたことをご理解いただきたいと思います。  【資料提供:長島 萌:松本悠佑】