種の会からのお知らせ

週刊メッセージ“ユナタン”19

     ≪ユナタン:19≫ in 種の会
~ 泥んこ遊び・水遊び・プール遊び ~

平成28年7月7日  片山喜章(理事長)

雨上がり、水溜りを発見すると、わざわざそこまで駆け寄って、笑顔で、ぱしゃ、ぱしゃし始めたわが子の姿を見ると、お母さんは一瞬、言葉を失います。それから怒りが込み上げて金切り声で、制止に努めます。買って間もない靴も靴下もだいなしになりました。
「その子の笑顔」と「お母さんの怒り」、このコントラストは、一体全体、何でしょう。
水溜りのなかに魔物が棲んでいるのでしょうか、それとも宝物が隠されていたのでしょうか。

その子にすれば『とってもたのしい~。ぼくのフットパワ~で泥水は驚いて散っていく。強く踏みつけると遠くに逃げるし、ゆっくり踏むと水はじんわりと靴を飲み込もうとする』そこで、慌てて足を持ち上げる。『どうだ(ぱしゃ)、どうだ(ぱしゃ)(ぱしゃ)、ぼくって強いんだ…』と言わんばかりにはしゃぎます。まるでヒーローに扮しているようです。自分が汚したことで、お母さんは、きっと怒るだろうと予測はできるのだけど、その瞬間は、忘れてしまうのです…。

水には、生命を誕生させる不思議な力があります。体の中は、ほとんどが水分で、この時期、熱中症を引き起こさないように水分補給に心がけます。生き物にとって、水は、必需品ですが、子どもにとって水は、どんな玩具にもまして魅力的な存在にもなります。水、泥、土、砂は、今も昔も最大級の遊び相手であり“教材”である、と言っても過言ではありません。水や泥んこの魅力について、私たち保育者はよくわかっていますが、再認識する必要もあります。

「泥んこ遊びの日」以外の日に園庭で水を出して遊びだすと、金切り、まではいかなくても、木切り声くらいで「即刻中止!」を促す事があります。いろいろ“ダンドリ”があるからだろうと思います。この時期はまだしも、4月早々、10月後半など、夏場でなければ「風邪を引く」などの根拠に乏しい理由を持ち出して禁止する場合があります。“今日、あなたの子は(楽しく)水浸しになりました”あるいは“泥んこだらけになりました”と前日に“お知らせ”がなくて、結果報告だけを受けると、保護者の方は、園に対して、不満や不快を感じたりしませんか?
年々、その傾向が強くなってきた気がします。“活き活きさ”を引き出すだけでなく、“情緒の安定”“癒し効果”においても、水遊びや泥んこ遊びは、昔も今も最高級の活動です。怒られることがわかっていても、“したがる子どもの気持ち”や“意欲”を、ぜひ、ご理解ください。

しかし、一方において、プール遊びとなると、少し事情が異なります。楽しい思いをするだけでなく、嫌な思いをする場合もあります。また「水の怖さ」も伝えねばなりません。
プール遊びには、「3つの柱」があります。
1つめは、「自由にオヨグ」ことです。それは、自分の能力や課題にチャレンジする機会でもあります。ある子はワニさん歩きをしたり、また、ある子は顔付けをしたり、潜ってみせたり、それぞれその子らしい「表現」をします。そのとき、決まって“見てみてコール”を放ちます。
両手で体を支えて、両足を浮遊させる“ワニさん”の何ともいえない不思議な感覚に思わず、「センセイ、見てみて」と叫びます。この子どもの気持ちや姿を最も大事にしたいと考えます。
こんなとき、大人は、ただ頷くだけで良いと思います。「では、今度は、お顔をつけてみたら」と返すのは、この姿を認めていないことになるので、あまり望ましくない、と考えています。

この「自由にオヨグ」ときには、約束を設けます。「水かけ禁止」です。それぞれが、マイテーマに挑んでいるときに、水を掛けられるのは、迷惑です。けれども、その後「水かけタイム」を設けます。まず、真ん中にいる先生に水をかけたり、先生の代わりにできる子を募ったり、2チーム対抗で「水かけ大会」をしたりします。ふいに水をかけられと泣いてしまう子も「ゲーム形式」にすると、耐えようとしたり、顔を背けて、わが身を守ろうとしたりします。

2つめの柱は、「集団遊び」です。「渦巻き」といわれる方法で、みんなが同じ方向に走って、止まってワニさんになったり、体を浮かせたりします。水流に乗って、得も知れぬ面白さを味わいます。また、ロープを使って、水中綱引きをしたり、物干し竿を握って、レスキュー隊のように匍匐前進したり、円錐標識を使って、2チーム対抗の玉入れならぬ水入れをしたりします。
水の中、という特殊な環境の中での“ふれあいゲーム”をする、というかんじです。

3つめは、「泳ぎに向けて」というテーマに挑みます。両サイドにわかれて、1,2の3で、壁をけって、ロケット(ワニ)になる“ケノビ”をしたり、高さ30センチのベンチを沈めて、そこから飛び込んで、連続して泳いだりします。しかし、ここでもその子らしさを認めます。
飛び込みをする子、飛び込みではなくて飛び降りて、ワニさんになる子、それはその子自身が、自分の気持ちや力と“相談”しながら決めることなので尊重します。保育者的には、なんとか、レベルアップしてほしいと期待しますが、その子なりに「危険回避」「自分の身を守る」ことを考えて判断していることなので“本気”で尊重することが、大事である、と考えています。

35年前、保父さん時代、5歳児を市民プールに連れて行って、足の届かない大プールを経験した時(25名の子どもに引率4名)、ひと通り、大プールを味わった後、選択にしました。
その時、多くの子どもは先生のサポートを受けながら、大プールを満喫していましたが、3人だけ、ずっと赤ちゃん用の小さなプールで遊んでいました。その中の1人は、当時、まだ珍しいスイミングに通い、バリバリに泳げる子であったことが、今も、強く、印象に残っています。