種の会からのお知らせ

週刊メッセージ“ユナタン”18

ユナタン:18≫ at はっとこども園

~ 「2つの時計」と「遊び心」 ~

平成28年6月18日  片山喜章(理事長)

幼児の保育室には時計が2つ、並んでいます。(ひとつは電池がはいっていません)

どんな意図で、時計が2つも並んでいるのか、その“仕掛け”をご存知ですか?

「子どもの主体性を育む」ことは、保育・教育の基本的な「目標」です。けれども、言うのは簡単です。私たち現場の保育者は「目標」を言葉で唱えることができても、いざ、「実践する」となると、絶えず、思案します。保育者の創意やアイデア勝負になるからです。実際、先生に強いられた活動でも、それを受けとめる子どもが活き活きしていれば、素直で、「主体的」に活動しているような気になってしまうことがあります。逆に、言われたとおりに片付けをしないで、好き勝手に活き活きと遊んでいたら、どうでしょう? 活き活きしているから「主体的」ですか? ルールを守らないのだから「主体性」とは言えないでしょうか? こんな事が現場でよく話題になります。

こんなふうに“言葉の意味”を詮索しだすと、もう、ワケワカメな状態になってしまって、結局、「主体性」について考えるのが邪魔くさくなってしまいます。「2つの時計」は、主体的に行動するための「1つのアイデア」として、園生活にかなりしっかり根付きだした「保育の方法」です。

いま、はっとこども園では、一定の時間、コーナー・ゾーンの保育が展開されています。

6月になったある日の「積木コーナー」での出来事でした。そら組4歳児A君とB君の2人が「積み木」を並べて遊んでいました。かなり集中していたようです。その横で、にじ組3歳児C君も同様に遊んでいました。そして“お片付けの時間”に気がついたのはC君でした。

では、C君が、なぜ“お片付け”の時間を知ったのでしょう……。そこに「2つの時計」という“仕掛け”があります。1つは、ふつうの時計です。実際の時刻を示しています。もう1つは、電池をはずした“合図の時計”です。保育者が自在に針を動かして、時刻を表示することができます。

その日の“お片付けの時間”を保育者は“合図の時計”を使って9時30分に合わせました。

それが、保育者が決めた“お片付け”をする時刻です。3歳児のC君は、「2つの時計」の針が同じ状態(どちらも9時30分)になったのを確認したので、「遊びたい自分の気持ち」を切り替えて“お片付け”を始めたのでした。C君のこの「自制心」「時計を見て判断する力」は、本来の子どもらしくない姿かもしれませんが、「主体的な行動」だと私たちは考えるのです(賛否は別)。

その流れの中で、C君は、隣に居た年上のA君、B君が作っていた積み木も片付け始めたのです。「積木コーナー」は“片付けの時間”になると全て片付けるルールは、誰もが理解しています。

すると、それまで機嫌よく遊んでいたA君とB君は声を荒げて「やめろや~!何すんねん…」と言ってC君に、飛びかかりそうになったのでした……(アッ、ケンカになる)

けれども、C君はさほど気にもせず、黙々と積木を片付け続け、とうとうすべての積み木を片付けきって、「サークルタイム」に行こうとしました。A君もB君も一層、カッとなって、C君の腕を掴んで「“なかよしベンチ※”で、話しようや!」と言ってC君を連れて行こうとしました。

  • もめ事が起きたら、大人に頼らず、その場所に行って、自分たちだけで話し合って、解決しようとする園文化です。これも(言い合える)「関係性」を豊かにし、「主体性」を促すと考えています。

 

3歳児のC君は、彼なりに不条理に感じたようです。すぐに「積木コーナー」の近くに居た保育者のところへ行って、「先生、助ケテ。。ボク、まちがってないのに…」「“お片付けの時間”にナッタカラ、かたづけたダケ、やのに…」と訴えました。一部始終、事の経緯を見守っていた保育者は「そうね、C君の言ってること、正しいと思うよ。A君、B君に、そのこと、ちゃんと、お話ししてあげたらどうかな?」「センセイ、ここで、ずっと見てあげるからね」と言葉を差し伸べました。

3歳児のC君は、まだ怒っている4歳児の2人に対して「だって…“お片付けの時間”やもん。“トケイ”見たら、片付けする時間やったモン」とリキを入れてしっかり言いました。その言葉に2人は一瞬“チ~ン”。互いに顔を見合わせて、そのまま、そろ~と「2つの時計」の方を眺めて…(苦笑!)。「あっ、ほんまやな~……ゴメン」と照れくさそうに笑ってC君に応えました。

現在の時刻と“お片付けの時間”を表示した「2つの時計」。「時計という存在」が今を知らせ、そして片付けを促す“仕掛け”になっていることを子どもたちは承知しています。今回は、3歳児のC君が気づき、4歳児が気づかされるというエピソードでした。『3歳児なのにスゴイ!』と感じる方がいるかもしれません。しかし、私個人は、C君の性格や人柄によるところが大きいと思いますが、それより3歳児ならではの“幼さ”と“好奇心”によるのではないかと考えました。

C君にとって、「2つの時計の意味」を“会得した喜び”を表現することが「積み木で遊び続けること」にまさったのだ。そんなふうに考えました。もちろん、4歳児のA君、B君も年下のC君から「正論」を言われたわけですから、「しゃ~ないな」と諦めがついたのかもしれません。

そこに居た保育者は、4歳児のA君、B君がC君の言葉を素直に受け入れて「気持ちいいくらいの潔さを感じた」さらに「この“2つの時計”の存在(仕掛け)が、子どもたちの生活の中に、根付いていることが実感できた出来事だった」と私に感想を述べました。評価に値する教育です。

むかし、私は、この“仕掛け”を主体的な「保育の方法」として提案しました。なので、異論はありません。しかし最近、メッキリ年老いたせいか、“片付けの時間”をわざと無視して、遊びに没頭する子どもの姿を密かに期待したりなんかしています・・・(きゃ~、先生たちに怒られる!)。

私の中に「2つの尺度」が在って、今、両方とも動いているのです。 【話題提供:福田侑真】

———————————————————————————–

ユナタン:18≫  at なかはらこども園

~ 2つのコーナーから、きこえてきたもの ~

平成28年6月20日  片山喜章(理事長)

前回、≪ユナタン:17≫で紹介した「コーナー・ゾーン」による活動を午前中いっぱい続ける「フリーデー」が、6月1日にありました。その日、法人の関西各園から見学者を招いて、観察し合い、評価し合う“ライジン”と称する「研究会」も合わせて行われました。日頃、物静かな園長と2人の主任もこの日は、何としても良いところをみせたい!という思いが強くはたらいて、何日も前から、熱意と創意の限りを尽くして、この日に向けて、職員集団にハッパをかけていました。

その中で、ユニークで、興味深かったのは、H先生が担当した遊戯室を使った《科学ゾーン》とY先生が担当した2階の東端の部屋を使った《楽器エリア》でした。2人とも男性保育者です。

《科学ゾーン》:遊戯室には、5歳児ぞう組の子どもたちが7~8人集まりました。さらに3歳児ばんび組の子どもも加わりました。この日のテーマは「糸電話」の研究でした。“受話器”にあたる部分を“紙コップ”“プラスチックコップ”、“電話線”は“タコ糸”“麻ヒモ”“タフロープ”を、それぞれ準備して、どの組み合わせが「電話」として機能するか実験します。実験希望者が想定外に多く、担当者は大慌てでした。子どもたちは、組み合わせの異なる何種類も「糸電話」をつくりました。ここに時間が費やされましたが、多様な「糸電話づくり」もまたおもしろかったです。

『ヒモ(電話線)の長さは、どれくらい?』と、ヒモの長さを様々に変えてみて、ヒモの長さと音量は関係するのか、疑問を抱いて試す子。『紙コップどうしをくっつけるだけでも相手の声が聞こえるよ。これ紙(論文?)に書いておいて』と“発見”を誇らしげに訴える子。「糸電話」が次々に完成したので「実験」は、遊戯室と上の園庭にわかれて行なわれました。

「紙コップ」と「タコ糸」が正解だとすぐに理解した子どもたちは、H先生と一人ひとり順番に会話しました。『うわぁ~! めちゃ聞こえる』と糸がピンと張っていると声がはっきり聞こえることを体感した子どもたちは大感激です。最初、地声を張り上げて、それで『聞こえる』と騒いでいる子どもも多くいましたが、この《真実》にふれると、少し真顔になって、にわかに信じがたい、という表情に変わっていったのが、とても印象的でした。少し離れたところに居るH先生の“声”が、耳元で、まともに聞こえるのですから、まさに驚きの体験です。

音は、音量、音質ともに振動として鼓膜に伝わります。ピンと張ったタコ糸には音を伝える力がある事を体で学び取ったひとときでした。次は、「電話線」をどんどん伸ばしたり、電話機を大きくしたり、線のない携帯電話で、なぜ会話ができるのか、先生たちもそれくらい探求してほしいと思います。「探求への旅」は「自分自身を知る旅」でもありますから…。【話題提供:橋元次郎】

≪楽器エリア≫:大勢の子どもが群れ集う多彩なコーナーの一角に、騒がしい音がする“楽器コーナー”を設定するのは、いかがなものか、と懸念していました。しかし、何回か経験している実績があり、また楽器で音を出せるコーナーは“エリア”として、2階の一番東端の部屋で、他のコーナーと仕切られていたので、他園ではみられないコーナーになるのかなと興味を抱きました。

10時ジャスト、他のコーナー・ゾーンから少し遅れてオープンした楽器エリアには、保育者がついています。担当は、なかはらでも屈指のピアニスト、男性のY先生です。

始まる前、2人の子どもがプレイルームを往来し、“呼び込み”を行なっていました。楽器をたたくだけなら、1人でできますが、リズムは、何人かと“合わせ打ち”してはじめて“おもしろい”と感じられる特徴があります。なので、仲間を集めに行ったのだと思います。

集まった子どもは、5歳児ぞう組と3歳児ばんび組の子が多く、計12人くらいの子が、好きな楽器を使って自由にリズムを打ちはじめていました。楽器は、カスタ、スズ、タンバリン、ウッドブロック、トライアングル、そして木琴です。リズムだけを打ち続けるには、強い表現欲求や決められた形が必要です。でなければ長続きしません。メロディーを奏でる打楽器である木琴が設定されてあるのは、奇妙な感じがしましたが、今後、発展する可能性を秘めているとも感じました。

と、そこにY先生が、ピアノの前にすわって、にこやかに、しなやかに弾きはじめました。

「おもちゃのチャチャチャ🎶」「♪手をたたきましょ」他、メロディーに合わせて、その子なりにリズムを意識して楽器を打ちます。四分(音符)打ちを続ける子、メロディーに合わせて四分と八分を使い分ける子、三連符を巧みに打つ子、様々ですが、クラス(年齢)によって、打ち方がだいたい同じでした。3歳児は、カスタやタンバリンを打つとき、多くの場合、足も動いて歩きながら打っていました。まさに、これが「3歳児の特徴」と「研究」できたように感じました。

一斉クラス活動として、緊張感を持たせる器楽活動と違って、自分が選んだコーナー活動であること、そして1曲終わるごとに楽器を交換する自主ルールを設けたので、楽器を取り合うトラブルは起こりませんでした。このエリアには、台が1列に並べられており、その上に立って器楽合奏をするシツラエになっていました。が、子どもたちは回を重ねると、お互いに向き合うように立ち位置を工夫したり、Y先生も木琴の位置を外向きから内向きに変えたりしました。

3曲終わると、また自由打ちの時間になります。およそ10分間隔で、ピアノ演奏が行なわれ

ますが、次の開始時間は、部屋に備え付けの時計に表示されます。

そして驚いたのは、その時間になると、演奏を聴きに来るお客さんが、他のコーナーからやって来たことです。まるで演奏会を聴きに来た感じです。絵画は完成品のある空間に“楽しみ”が存在します。音楽は、演奏する事、演奏を聴かせる事、演奏に聴き入る事、つまり音が、空気中を踊り出す時間の流れに“楽しみ”が存在する、今更ながら、そう感じました。 【話題提供:横田太郎】

———————————————————————————–

ユナタン:18≫ at ななこども園

~ “いろんな想い”を乗せたり、降ろしたり ~

平成28年6月23日  片山喜章(理事長)

今年度にはいって、週1回、「コーナー・ゾーン」で活動する“フリーデイ”が定着しています。子どもたちは回数を重ねるたびに“ただ気の向くまま遊んでいる状態”から、自分のしたいことを自分のなかではっきりさせて、時には、クラスを越えた仲間とともに“目的を持って遊び込む状態”に変わりつつあります。保育者集団もまた、今まで大切にしてきた“ななの保育”に、この新しいタイプの保育を通して、子どもの見方を広げ、子どもたちのさらなる成長を願っています。

6月1日のフリーデイのことです。3歳児ゆり組のX君は、コーナーがオープンすると、真っ先に“積み木コーナー”に向かいました。そこには木製の玩具、「電車」と「線路」もあります。

4月、フリーデイ開始当初の積み木コーナーは、5歳児ばら組の子どもが多く、「電車」と「線路」を積み木と合体させて「駅ビル」や「車庫」を工夫しながら作っていました。その姿に影響されたのか、最近は、どちらかというと、3歳児ゆり組の子どもの比率が高くなってきました。

さっそく、X君は「電車」をつなげました。あっという間に6両連結になりました。しかし、それを「線路」の上に乗せないで、フロアーに置いて、自分の体を中心にその周りを蛇行運転させたり、ビュワーンとまっすぐ長い距離を走らせたり、ひとりで遊んでいました。

この遊びは「電車」が通る「線路」を作る面白さもあります。右カーブに左カーブに直線、多彩な「線路の部品」をあれこれ組み合わせて軌道をつくっていく。やがて、出発駅も終着駅もない、その日限りのアートな環状線になる。その制作過程もまたこの遊びの面白味の1つです。

自分(たち)が“いきいき気分”で組み合わせた「線路」が基底になって、その上を“わくわく気分”を乗せた「電車」たちが、なぞっていく。GO&STOPをくりかえしたり、スピード調整を楽しんだり、その“操作”がたまらなく面白い。けれども、X君は「線路」という軌道の制約を望まなかったのか、あるいは、他の子どもとの接触を避けたのか、しばらくの間、「線路」から離れたところで自由に“運転”していました。けれども、その一方で、同じ3歳児クラスのA君たちが、どんどん線路をつなげて、拡げて、面白そうに遊んでいる様子も、気にかかります。

「う~ん、どうしよう?~」、「電車」を手にしたX君の表情には“戸惑い”が、停車中。

X君、意を決して、チャレンジ! 手持ちの6両連結の「電車」を「線路」に乗せました。その「線路」で10台の「連結電車」を走らせていたA君と目が合います。一瞬の間、お互いに見つめ合って力を競い合う、まさに“トーマス物語”。「やっぱり、無理」と、X君は、自分の「電車」を「線路」から下ろして、抱えるように持ち運び、また床の上で「電車」を運転しだしたのです。

しばらくすると、『やっぱり、「線路」で走らせたい』、そんな想いが乗っかったのか、X君は、また別の場所から、そ~っと、「電車」を「線路」に乗せて…運転再開です。そこには、やはり同じクラスのB君がいました。B君は、「電車」を走らせるより「線路」をつくるのに興味があるようです。長い時間、ず~っと「線路」づくりに没頭していました。どんどん伸びる“パズル”をはめ込むような面白さに浸っている感じです。X君が、自分がつくった「線路」の上で「電車」を走らせてくれることに、B君は大歓迎。嬉しそうな表情で「線路」づくりに励んでいました。まるで、自分が作ったお料理を友達が、美味しそうに食べてくれる、そんな嬉しさを感じているようでした。

X君の「電車」の「旅」は、さらに続きます。

今度はそこへ、また別のC君の「電車」が接近してきました。X君の「電車」と衝突しそうになりました。2台の「電車」は停止します。特に、言い争うこともないままX君は、C君に譲るかたちで、また自分の「電車」を床に下ろして、別の場所へ移動させました。それからX君は思いついたように、時々、自分の「電車」を「線路」の上に乗せて遊びます。けれども友達の「電車」と出会うたびに「線路」から取り出して、衝突を避けるのです。X君は、この“動作”を何度か繰り返していました。果たして、この“動作”には、どんな“心情”が潜んでいるのでしょう?

これは誰にも、本人にさえもわからない深層心理の仕業です。『敷かれたレールの上を走る人生なんて…』と、冒険ができず、無難に暮らす生き方の例えとして、表現することがあります。

『敷かれたレールが単線ならば、道中、必ず衝突が起きる! X君は、実際、衝突を嫌って避けました。彼は、やさしい子? 賢い子? 押しの足りないひ弱な子? 敷かれたレールの上で走ることに惹かれながらも、こだわらないで、冒険に出ようと試みた!』 そんな風にも見えました。

X君の「電車」の「旅」も、いよいよ終盤です。

同じクラスのD子ちゃんが、別のコーナーから、物珍しさに牽引されてやって来ました。D子ちゃんは「線路」や「電車」で遊んでいる友達の様子をじっと眺めます。そんなC子ちゃんに気付いたX君は、何も言わず、唐突、自分の「連結電車」をすべてD子ちゃんに手渡してしまいました。D子ちゃんは、「なんでくれたんだろう」と不思議な表情をしたまま立ち尽くします。

手渡された「電車」を持つD子ちゃんと、X君の間に、奇妙な空気が流れます。

(D子ちゃんだから、貸してあげる)(きっと面白いよ)(ぼくなら、もう、いいよ)(もう、飽きた)、X君の気持ちを推し量るのは、困難です。ただ、D子ちゃんに「電車」をあげたX君は、笑顔がいっぱいで、得意気な表情でした。 (D子ちゃんのこと、お気に入りなのかなあ~♡)

そしてX君は、スキップなんかして、別のコーナーにお出かけしてしまいました。X君は、もうこの時、自分自身が「電車」になって、自分でつくった心の中の「線路」を走っていたのでしょう。

きっと、「快速電車」になったつもりで……。    【観察&話題提供:園長 徳畑 等】

———————————————————————————–

ユナタン:18≫ at 池田すみれ

~ ふとした きっかけから ~

平成28年6月22日 片山喜章(理事長)

0歳児ふじ組には、現在8名の子どもがいます(7月に2名入園します)。園全体の規模からすれば、人数は少なく、その割に保育室は、広すぎるほどひろい、といってよいと思います。

「ひとりひとりの発達を見極めて!!」「個々のその時々の状態を把握して!!」「無理せず生活習慣の自立を促します!!」等々、それぞれの保育者は、その子その子に適した保育・教育の在り方を探りながら、日々の実践に挑みます!!!(ふっ~)……

と、心がけますが、常にそんな精神状態で子どもと向き合っていると、長時間、園生活している子どもたちも保育者集団も息が詰まり、疲れてしまいます。息抜きも大事です。

と、いうよりも息抜きしながら《押さえどころ》はおさえて、後は、お世話をしたり、共に遊んだり、子どもどうしがふれあい(学びの源泉)、子どもも保育者もリラックスし、くつろげる風土をつくることが何より大切で、このクラスには、それが一層強く、求められていると思います。

そんなある日の事です。まだ歩行が確立していないAくんに、担任は、食後のエプロンとタオルを渡して「ないないしてきてね」と伝えました。いつもなら歩行が確立していないので、Aくんのエプロンとタオルは、担任が片付けていました。

その後、時間にして、1分もたたない頃です。何気なくAくんが居た場所に目をやると、そこにはAくんの姿はありませんでした。(なんと)Aくんは、自分のエプロンとタオルを「汚れ物ケース」に入れようと移動していました。そこまで、ハイハイして行ったのです。しかも、担任の顔を見て、微笑んで、まるで“どうや、たいしたもんやろー!”と言わんばかりに見えました。

担任の頭の中で、いろんな考えが駆けめぐります。「自分で汚れ物を片付けに行くのは、歩けるようになってからで良い」という考え方だったのですが、“自分で行くように”促してみるとAくんは、まだ、十分、歩行が確立していなくても、自分のエプロンとタオルを「汚れ物ケース」に自分で持って行って入れたのでした。

と、いうことは、今まで“してあげる”だけの(0歳児)保育は、必ずしも、Aくんにとって、良くなかったのかもしれない…。今回、ほんの一瞬の出来事から、保育(特に乳児保育)の根本を考える大きな“きっかけ”になりました。こんなふうに考える姿勢も《押さえどころ》と捉えます。

それに気づいてからは、担任たちは、Aくんに「自分で行って来て~」と言葉をかけます。

大人ならついついメンドクサイ事も、0歳児(満1歳のお誕生日は迎えています)の子どもでも、自分でできることは“自分でやりたがる”のです。この子どもの気持ち(欲求や願い)に応えてあげることは、とても大切な保育の《押さえどころ》です。

数日後、「汚れ物」を片付けに行こうとするAくんは、とうとう、自分一人で立ち上がり、「汚れ物ケース」に向かって、遂に、第1歩が出たのでした。拍手喝采の瞬間でした。自分でしたいこと=「目的」に向かう気持ちは歩行する力をも促すのだと子どもから学んだ担任たちでした。

“たまたま”の出来事はこの後にも、起こりました。1歳児、2歳児は、「毎日サーキット」をしています。身体機能全般と意欲そのものを促すルーティンの取り組みです。0歳児ふじ組の子どもたちも、歩行が確立した子どもを中心に、1人~3人くらい、遊戯室までお出かけして1歳児あか組の「毎日サーキット」に参加することがあります。それまでAくんは、歩行が十分でなかったので「毎日サーキット」に誘われることはありませんでした。そして「汚れ物ケース」に歩行で移動しはじめても、尚、担任たちは「毎日サーキット」に誘おうとは考えが及びませんでした。

「Aくんが、歩行しだした」=「ならば、あか組の毎日サーキットにお出かけしよう」と即刻、教育的な考え方に立てないのも現場の姿ですが、責められるようなことではないと思います。

しかし、ある朝、Aくんは機嫌を損ねて、いつまでも“ぐじぐじ”としていました。その姿を見て、担任は“そうだ!気分転換になる”と思い立って、サーキット会場(遊戯室)に連れて行きました。到着するなり、顔色がかわり、表情を明るくキラキラさせて、自らサーキットのコースの中に入り込んで、斜面をのぼり、遊び始めたのです。これも、担任が意図して「サーキット」に誘ったのではなく“たまたま”Aくんが機嫌を損ねたので、その“対応策”としての「サーキットへの参加」だったのです。私は、Aくんの機嫌の悪さは、担任の先生たちに対して「サーキット、させてくれよ~」と伝えるメッセージではなかったのか、と感じています。

この姿を見て、今度は、担任から、1歳児あか組が行っている「毎日リズム」に、Aくんを誘いました。もちろん、それまで1度も参加した経験がありません。参加してすぐに「うさぎ」の動きにとびつきました。両手を上げて、跳ねては倒れ、跳ねては倒れ、何度もにこやかに「うさぎ」を模倣していました。これらは、Aくん自身の発達や成長の姿ですが、「毎日サーキット」や「毎日リズム」や、そこに居た1歳児の子どもの動きに導かれた成果である、とも解釈しています。

0歳児保育について、日本のエライ人たちでさえ、「家庭ですべき」という神話の中にいます。

「はいはい」ができる広いひろい環境がある保育室。さらに「毎日サーキット」と池田すみれの特徴として「毎日リズム」を実践していること。毎日まいにち、息抜きはあっても、日課として手抜きをしないこの園は、かなり“いい線”行ってる!と思います。 【話題提供:池田 由似子】