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片山喜章のページ ~思い・願い・提言~
2018年6月27日 水曜日

【ユナタン6-46】
  ~ 流されるような風景の意味を探る ~ 

2018年6月27日  片山喜章

子どものすべての行動には、それなりの意味があり、それを子ども(の育ち)の側に立って理解し寄り添う事は保育の重要なテーマです。しかし実際、日々の保育の流れる時間の中で、いちいち立ち止まって、そんな心持ちで実践するのは、並大抵なことではありません。一方で「ダメな事はダメ」というごもっともな考え方があり、子どもの行動の意味を理解しようとしないまま、禁止あるいは叱責する場面もみられます。ご家庭においても、特に乳児の場合、ほんとうに科学者のように探求心から生じた好ましくないような行動に対して、それに替わる代替物や代替活動を提供されないで「それは大事なものでしょ」「それは危険でしょ」のひとことで「ダメ」といわれ叱責され、貴重な実験の経験を奪われたまま成長していきます。
今回のエピソードは、特に“何事もない”、実に平凡な風景です。保育の中では生れて消えて保育者からも流される場面かもしれません。しかしそこにも子どもの精神活動は存在します。そこから子どもを理解すると、もしかすると新しい見地で子どもの姿が見えてくるかもしれません。

『4月入園の1歳児のランちゃん(1歳5ヶ月)は、いつも0歳児のミキちゃん(11ヶ月)を見つけると、傍にスーッと座ります。顔を覗き込んだり、頭をなでたりしながらだんだん体の距離を縮めていきます。そして、最大限に距離が縮まるとギュッと抱きつくのです。ランちゃんのミキちゃんに対する愛情表現はこんな形になることが多いのです。まだ加減が分からないので、撫でているうちに頭を叩き始めることもありますが、保育者に「優しくなでなでしてあげようね。」と言われると叩くのを止めて、そっと撫で撫でしています。
ある日、ランちゃんがお手玉をたくさん入れたおままごとのボウルを自分の前に置いてかき混ぜています。お料理に見たてて遊んでいるようです。そこへ、スーちゃん(11ヶ月)が近づいてきました。気配を感じたランちゃんは、咄嗟にボウルを両腕で抱えこみました。ランちゃんの側にすわったスーちゃん。案の定、スーちゃんの手がランちゃんのボウルに触れました。すると、ランちゃんはスーちゃんの手にボウルが届かないよう体を45度くらいひねり、自分の体と腕で守ります。それでもスーちゃんの手は、ぬ~と横から伸びてきます。お手玉を取ろうとするスーちゃん。手が伸びてくるたびにランちゃんは体の角度を変えていきます。

しばらくすると、スーちゃんはランちゃんのボウルを追うことを諦めました。そして、近くに置いてあったブロックを手に取りひとりで遊び始めたのです。
ランちゃんはスーちゃんの様子を見て、『もうこっちには来ないな』とほっとしたようにスーちゃんの方に体を向き直しました。次の瞬間ランちゃんは、お手玉を一つ手に取りました。そのお手玉をスーちゃんに「どうぞ」と差し出したのです。スーちゃんは笑顔で受け取ってくれました。すぐに、スーちゃんはボウルやお手玉、遊んでいたすべての道具をその場に置いたまま去っていきました。』
この風景に対して担任は《ランちゃんは、自分よりも少し小さいお友達に興味があり、特にミキちゃんに対してもっとも親近感があるように見えていた。ミキちゃんより月齢の低い子にはあまり興味を示さない。この日のスーちゃんに対しての姿は、おそらくスーちゃんと月齢が同じで発達も近いこともあり、改めて彼女の存在を意識したのではないか。どうしたら自分の物を守れるかというやりとりをした後、お手玉を手渡そうとした気持ちとは、どんなものだったのだろうか?》
と、振り返りを残しています。自分が遊んでいた物は誰にも渡したくない。それが45度、体を背けるという行動になります。しかしその後、遊んでいたボウルではなくて代替物としてお手玉を手渡し、スーちゃんが笑顔になるとそれに引き寄せられたのか、ボウルまで残してあげて?別の遊びをしようとしました。

「ボウルで遊ぶ事に飽きたから」でしょうか。「仕方ない、譲ってあげよう」と考えたのでしょうか。もしも相手がふだん親しみの深いミキちゃんだったら、どうでしょう。あっさり貸してあげたでしょうか、否、むしろ相手が近しいので自我をぶつけて譲らなかったかもしれません。否否、2人とも自分より月齢が低いと認識できているので、誰にでも譲ってあげようという気持ちになるのでしょうか。
ランちゃんの頭のなかでは私たちの想像が及ばないような知的なワークがなされていたのは間違いないことです。それは科学者のような物に対する探求心とは異なる心の知能です。もしも、担任が「ランちゃん、譲ってあげて」とお願いしたら、ランちゃんもスーちゃんも担任との関係で心が動きます。結果、譲ってあげた時、大人はただ「善い行いだね」と流します。しかし2人の経験した事や心の育ちの中身は全然違う!と評するのが保育の専門性だと言えます。再生医療は進歩し量子コンピュータを製作するまでに進歩した現代社会ですが、子どもの行動の真意を観測する専門性は未開です。それが保育士の質を下げ、保護者の理解を得づらくしている要因になる!? と懸念しています。【資料提供:関戸真理子(世田谷はっと保育園)】
※ 次回は7月11日 もみの木台保育園(横浜市)です。

カテゴリー: 法人情報
2018年6月13日 水曜日

【ユナタン45】
~ おまけの おまけの きしゃぽっぽ(ノンタンシリーズより) ~

2018年6月13日  片山喜章

5月の晴れた日、3歳児クラス黄組は隣接する公園に出かけました。公園にはブランコがあります。4台のブランコは行儀良く並んでいました。そこへ子どもたちがどっと群がります。園にはない遊具なのでトラブルが予想されます。ということは保育として好機が訪れたと解釈できます。サリーは“自分が!乗りたい”という思いを強く現わして友達を次々に跳ねつけます。友達に向けて手を振り上げようとしたその時、先生はその手をつかんで止めました。するとサリーはその手を払いのけて睨みつけます。サリーの目からは涙がこぼれています。憤りやら悔しさやら自戒の念やらが混じりあって胸がいっぱいです。そして、思いのすべてを吐き出すように「バーカ」と言い放って別の場所に駆けだしたのでした。

 5分くらい時間が過ぎて、サリーはまたブランコのところに戻ってきました。
“やっぱりブランコに乗りたい”。でもブランコに乗るには“友達に乱暴に振る舞ってならない”。けれども早々に素直にはなれない。それでも“素直にならないとブランコには乗れない”。“友達は受け入れてくれるかな”“どうしよう”。 
少しの間、ジトっとブランコを漕いでいる友達を眺めていました。サリーなりの葛藤が痛いほど伝わってきます。サリーは意を決したのか、強い調子で「貸~し~て!」と言いました。友達は知らんふりです。ふたたび「貸~し~て」。やはり返事がありません。サリーがベソをかくような表情で立ち尽くしていると隣のブランコの前にいたベティが「キキちゃん、そろそろ替わってもらえる?」とお願いする声が聞こえました。キキは「いいよ~」と返事をし、すぐに交替したのでした。

その様子をじっと見ていたサリーにとっては驚きの光景だったかもしれません。
サリーは思案して…しかし思い切って「ララちゃん、そろそろかわってもらえる?」と言葉にしました。その言い方は穏やかでした。ララはサリーの顔を見つめて一瞬、間をおいて「いいよ」と返しました。で、さっとサリーと替わってあげたのでした。 
なぜでしょう。ある程度、ブランコに乗って満足したからでしょうか。少し飽きたからでしょうか。さっき乱暴だったサリーが今度は殊勝な表情をしているのを見て譲ってあげようと感じとったのでしょうか。いずれにしても先生の介添えが無い状況でしぜんに“交替しよう”という空気と気持ちが生れたのでした。
念願のブランコに乗れた事とララに替わってもらえた事が相まってサリーは嬉々とした表情でブランコを漕ぐことができました。すると隣のブランコから「わあ~」と笑い声がします。キキがベティの背中を押してブランコが大きく揺れたのです。笑い声は連鎖を誘引します。その隣でも待っている子が漕いでいる子の背中を押しました。サリーも「だれか、おして~」と声を張り上げます。何人かの子が近寄ってきました。サリーは背中を押してもらってご機嫌です。しばらくすると端っこのブランコから「こうた~い」の声がしました。交替する行為も連鎖します。わずか15分前に「バーカ」と毒づいていたサリーも交替してあげていました。

「交替する」「順番を守る」などの規範は「お題目」のようにくり返し言ってきかせることで体得できると信じる人は年配に限らず若い世代にも多いです。「型の文化」 「形」を重んじる慣習などの日本の文化をそのまま人間教育にも当てはめようとする教育関係者の思考そのものが誤謬であり教育界の怠慢だと思います。それが結果的に逆効果になっているのが現代です。不祥事続きの国や企業や部活の組織文化の根底にあるのは、真の規範意識の希薄さと事なかれ主義と上意下達の価値観です。“思いやり”を授受し合う体験と関係性が規範意識を育むと考えたいですね。

「ブランコは順番に交替して乗りましょう」という言葉はどんな子でも頭の中で理解できます。時には叱られて頭で理解しても心持ちとして人間性のなかに溶け込まなければ育まれないと思います。この日のサリーの体験はどうだったでしょう。
元々サリーの中で眠っていた規範意識が仲間たちとの物語によって浮かび上がったように思います。乱暴な振る舞いが改まらない子どもの姿は、その時々の気持ちに寄り添えなかった大人たちの振る舞いの賜物でしょう。現代社会に適応できていないのは、成熟が待望されるのは、多数派を占める今の大人たちの人間性です。

その後、公園では1台のブランコに複数の子どもたちが群がっていました。順番を待つ子も増えています。「順番なんやで~。背中押して~、順番なんやで~」といきいきと響いていたのはあのサリーの声でした。先生から教えられた言葉としての「じゅんばん」を叫んでいるのではなくて“順番を守ることでみんなが同じように楽しめるんだ”と体感しそれを全身で表現している、そんな感じ方、受けとめ方ができる大人に育ちたいものです。   【資料提供:いけだすみれこども園:溝上宏子】
※ 次回、6月27日の事例提供は世田谷はっと保育園です。