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片山喜章のページ ~思い・願い・提言~
2017年10月24日 火曜日

〔ユナタンDX-1〕 №32
ニッポンの〔いま〕のなかで保育する、ということ ➀

平成29年10月24日 片山喜章(理事長)

今年3月で一旦休刊していました《ユナタン》を〔ユナタンDX〕として再刊します。予想外に多くの方から再刊を求めるお声をいただきました。(3月まで第2、第4火曜日。1月は第3)
各園各様に子ども本来の力が発揮されるような保育を実践して不確定な〔いま〕と『これから』を生き抜いてほしいと願っています。かなり困難なミッションです。国は「保育指針」や「こども園要領」を改定し、有識者は「小学校との接続」を含めて解説しますが、現場の状況とマッチしない文言が並び、隔世の感があります。蛸壺化が一層すすんできた実感を味わうきょうこの頃です。

当然ですが、各園の個々の保育者のセンスにはムラがあり、力量もマチマチです。しかし〔運動会で現れ出た数々の姿〕をご覧になって、私たちが大事にしている保育や子ども像をご理解していただけたと思います。凛々しさとか逞しさとか、そんな抽象的なものではなくて、どの園も“子ども本来の等身大のパワー”をお披露目できたのではないか、と自負するところです。
一列に並んで行進する子どもの心の内には何が在るでしょう。家族を含めた大勢の観客に見られる面映ゆい愉悦感は、ふだんの自分とは違う“社会の中の自分”を強く意識する経験にちがいないと推察します。しかしこの姿を「一列に並ばせるのはやらせ」「自由に集まれば良い」と揶揄する“インテリ”がニッポンには多くいます。その対極に手を頭の上まで大きく振り上げて歩かせる生粋の“やらせ主義者”も同居しています。この2つの“蛸壺”を打ち壊しながら双方に含まれる良質のエキスだけを創意で抽出しブレンドするのが「種の会」の思考と実践のスタンスです。

3歳児、4歳児でも、本番、ぐずってしまう子がいます。その子が他園の子か自園の子か、他のクラスか自分のクラスか、我が子であるか無いか、その子との関係性によって、大人の評価は変わります。となると、私たちが大事に考える「子ども理解」とは、曖昧さを抱えることになります。
「情けないけど来年に期待」「よく走ってくれて安心した」と大人は結果に自身の感情を織り交ぜて子どもを理解=評価します。結果ではなくてその子のその瞬間の気持ちは?…と内面に分け入って思いやるのは意外に難しいものです。“親の姿を見て辛くなるのは、感受性が豊か!”とあるがままの姿を(あえて)肯定的に受けとめたとき、その子に格別の成長エネルギーが注入されると信じます。もしも社会全体がこのような肯定的な思考をするなら、溢れる物と錯綜する大量の情報にふりまわされる〔いま〕の中にいる子どもたちの『これから』に光がさすことでしょう。

念押しです。的確に評価をすることからその子への教育が始まると疑わない現代において、その大前提として個々の子の内面に分け入って気持ちを理解し共感しようと努める親や保育者の“態度”が、その子がその子らしく成長する最良の“手立て”になる! 同時にこのムーブメントは、社会全体を成熟させてこの分断社会を乗り越えるエネルギーになる。そんなふうに私は思考します。
4歳児のバルーンと5歳児の組体操もまた、自他ともに認める“カタヤマメソッド”です。
バルーンの練習の第一歩は「楽曲にあわせて演じる先生の振り付け動画」を何度か見ることです。その後、バルーンに触れて遊んでいる時に、突然、楽曲を流してみます。ふざけていた子も驚いたように遊びをやめて演じ始めます。大人が全然関わらなくても、ほぼ完璧の出来栄え。それ以上に自発的に演じる子どもの姿に大人が驚きます。自分たちが演じた動画を見ながら話し合い、話し合った事を活かしてまた再演する。演じた後で子どもだけで話し合う。このくりかえしの中でスキルも話し合いの質も高まります。この高まる過程を「主体性の度合い」として私たちは評価します。
個々の子と子ども集団にとって「練習」=「苦痛(やらされている感)」はなくて「協同性」の表出です。論より、当日の子どもたちの姿から、確実に感じ取っていただけたと思います。

現在、7園中、5園が公立から民営化された園です。民営化1年目の予行を数名の保護者が見学された時の事です。2つのバルーンを移動する際、1人の女児が、方向がわからなくなって立ち尽くしていました。私たちは見守ります。すると同じグループの男の子が走って来て、その子の手を引いて自分たちのバルーンの方に連れて行きました。感動の場面でした。しかし予行の後、観覧した保護者から「なぜ、迷っている子を先生は導いてやらなかったのか」とクレームが入りました。私たちとは真逆の保育観≒子ども理解です。しかしこの保育観や子ども理解が、日本の〔いま〕の多数派です。そこで、バルーン演技自体をインテリは「やらせ」と非難します。しかし個々の子の内面も学びの質も全く違います。私たちの保育は、一見、一斉のやらせ練習の成果のように見える形のなかに、インテリがこだわる主体性のエキスを創意で抽出し、ブレンドしているのです。

5歳児の組体操も、「形」と「順番」を子どもたちとともに決めた後は、どこに位置し、誰と組んで、どの役割(下になるか上に乗るか)を担うか、本番も子どもたちに委ねます。練習中、上になるのは僕だ、私だ、とよく揉めます。数多く揉めて葛藤し納得したりできなかったり、様々な気持ちを味わいながら、「形」を作りきる経験が大事です。本番、何としても自分たちでやり切ろうとする姿が見て取れました。その前提には話し合いの文化、何かにつけて話し合って決める園文化、園生活が必要です。今後、保育者が話し合い、その総意で運営する園づくりをめざします。
1つの園で来賓の方々が涙する場面がありました。子どもたちの凛々しい姿にではありません。3段タワーでなかなか1番上に上がれない子が居ました。フィニッシュ間近、中段に居た子が咄嗟に降りて、その子と位置を代わり自分が1番上にあがってフィニッシュ!4秒の早変わりでした。
さらにもう1つ。一番上にあがりきれず、そのままフィニッシュした女児が悔しくて涙を流しました。即、横一列に5人がくっついて正面を向いた時、隣に居た子が腕を後ろにまわして涙をこらえる子の背中を懸命にさすっていました。正面のお客さんには全く見えません。感激を届けた子どもたちは、普段、ぶつかり合ったり悪態をついたり、いわゆるふつうの〔いま〕の子どもです。
別の園では、当日、体のデッカイ子が小さな子と組もうとした時、自分が組んでいた子と離れて交替する姿がありました。さらに後半、子どもたちが、互いに指示し合いながらやりきった姿に多くの方々から称賛の声を頂きました。そこは、かつて、バルーンでクレームがあった園でした。