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種の会からのお知らせ
2016年9月28日 水曜日

29年度の採用試験について、日程が決まりました。

採用試験日:10月13日(木)・15日(土)・17日(月)

〔上記日程がどうしても難しい方はご相談ください。〕

採用試験を受けていただける方は、事前に園へお電話くださいますよう、

よろしくお願いいたします。

また、本件につきまして、質問等ございましたら、お気軽にお問合せください。

TEL:072ー828ー5733

2016年9月23日 金曜日

≪ユナタン:22≫ at はっとこども園
~ 月齢差のある仲間の中で支え合い ~

平成28年9月16日  片山喜章(理事長)

0歳児・1歳児、おひさま組の生活において、排泄の自立は主な課題の1つです。
1歳児の月齢の高いAちゃんと同じく、1歳児だけど少し月齢の低いBくんが、いっしょに排泄に向かいました。2人とも紙パンツの着替えを自分でしようとする気持ちは育っています。
「どれにしようか」「どれにしようかな」と、2人は思案しながら、それぞれ自分で自分の紙パンツ選んで、着替えを始めました。

突然「できなーい」と叫声が聞こえました。Aちゃんが“手伝ってほしい”と訴えたのです。そこで保育者が援助し、パンツ・ズボンも自分ではくことが出来ました。一方、Bくんは自分の紙パンツを選んだけれど、着替え用の椅子に座ったまま。どうやら“マイワールド”に入ってしまったようです。保育者がいっしょにしようと誘って、手伝いはじめても、クスクス笑いながら、体をクネクネねじって拒み、着替えようとしませんでした。そのBくんの様子を、Aちゃんは、保育者の横で、じ~っと見ていたのでした。(何を思ってみていたのでしょう?)

それを察知した担任は、すかさず「Aちゃんに少しお手伝いしてもらう?」とBくんに誘いかけると(何と)「うん」と答えたのです。保育者があの手この手でお手伝いしようとしたのに、少し月上のAちゃんならOK!Aちゃんは自分が頼られていることを感じたらしく、担任の「お手伝いしてくれる?」のお願いに快諾し、ズボンは「こう向き?」と担任に確認しBくんの前に座り、ズボンに足を通すよう促しました。ズボンに足を通してもらい、さらに「たっちして」と言葉をかけられ、Bくんは照れくさそうな表情を浮かべながらもAちゃんの「援助」を素直に受け入れて着替えることが出来ました。担任が「Aちゃん、ありがとう、助かったよ」と言うと、Aちゃんも、そしてBくんまでも満足そうな表情をして、2人で手を繋いで遊びに戻りました。

別の日の食事の時間。食事スペースへ向かうBくん。自分の口拭きタオルを取って、席に着くかと思えば、隣のテーブルの周りをうろうろ。保育者が「ご飯食べよ~」と誘いましたが行こうとしません。食事が大好きなBくんなのに…?と見守っていると、食事のベビーチェアに座っているCくん(0歳児)の所に向かいました。そして、消毒用ボトルを持って「シュッシュ!」と言いました。保育者が「Cくんにシュッシュだね」と言うと「うん」と頷き、保育者に手を添えられてかわいい、かわいいCくんの手に“シュッシュッ”してあげました。「やってあげたよ」と若干、ドヤ顔になって自分の席に戻って、自分も“シュッシュ”をして食事を始めました。
同じクラスのなかで、弟になったり、お兄さんになったりするBくんでした。
0歳児・1歳児、おひさま組では、おやつ後の時間や雨の日等、リトミックをしています。
リトミックといっても、動きは初歩的な身体表現ですが、子どもたちは曲を聞きわけることができます。「おうまさんの曲」「ワニさんの曲」「カエルさんの曲」「うさぎさんの曲」など、それぞれ、それらしく動きます。このような取り組みは、少しの時間でよいので、毎日まいにち、続けることが大切です。なぎさ組のふれあいタイムも、サーキットをする前の5分間くらい、毎日まいにち、続けています。それが結果的に運動会のとき、実を結びます。

0歳児グループは、4・5月頃、パーテーション越しに、1歳児のお兄さん、お姉さんたちが動いている場面を見ていました。見るというよりも、そこに居ました。「しても、しなくても」また、「見ても、見なくても」、そこに居ることが大事で、大きな教育的な意味があります。
場を共有することが、0歳児にとっては、学習効果をもたらすと考えられています。ピアノがなって1歳児が動き出しても、全く気に留めず玩具をなめなめしている子、何をしているんだろうとジーと見ている子、曲が流れると、時折、手を動かしたり身体を揺らしてリズムをとる子などなど、さまざまな姿がありました。

そんな日常のなかで、歩行が安定してきた0歳児αちゃんが「おうまさんの曲」が流れると、ハイハイの体勢をとるようになりました。αちゃんなりに見よう見まねで動いて、おうまさん気分を味わっているようでした。『親子でメリーゴーランド』(手を繋いで輪になる曲)では、自然と1歳児が0歳児を誘おうとする姿が見られるようになりました。当然ですが、1歳児が誘いかけても応じないで、その場を立ち去ろうとする0歳児もいます。
「手を繋いでくれない・・・」としょんぼりする1歳児の姿もありますが、0歳児にしてみれば大きなお世話です。けれども日頃からいっしょにいる月齢の近いお兄さんお姉さんですから、拒否しても、どこか申し訳なさそうな顔をする0歳児もいます。これが4、5歳児なら嫌がるような顔をするかもしれません。そして、1歳児が「おてて」と言いながら誘うと、0歳児のなかには律儀?に手を繋いでもらい、膝を屈伸させながら、お付き合いする姿も見られます。

乳児でも、月齢が近いと、“すすんで助けてもらおうとしたり”、逆に“お世話しよう”とする姿が極自然に育まれるようです。ほんとうに不思議であり偉大です。昨今、保育界では「赤ちゃん研究」が注視されています。様々な《観察》がなされて、赤ちゃんの有能性がどんどん解き明かされていますが、私には独創的な《確信》があります。保育者がしっかり観察することが最も大事だという考え方です。保育者の《観察行為》が子どもどうしの関係性を豊かにするという、量子学の考え方をアレンジしたものです。0、1歳児がいっしょになったおひさま組の保育は、年々、豊かになっています。環境を整え、レイアウトを変え、試行をくりかえしましたが、何より、観察する習慣を保育者集団が体得したからだと考えます。 【資料提供:能宗&全職員】

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≪ユナタン:22≫ at なかはらこども園
~ 協働する力の源泉 ~

平成28年9月20日  片山喜章(理事長)

なかはらこども園では「やりきるクッキング」と称して、同じグループのメンバー5~6人で毎回、カレーづくりをします。メニューもメンバーも毎回、同じにするのは、一般のクッキング保育と違って「協働作業の経験」、「仲間意識の醸成」を第一の目標に取り組んでいるからです。(4月から1つのグループは4回、同じことを繰り返しています)。しかも、この取り組みは、ここ数年、毎年、続いていますから、ばんび組、くま組の子どもたちも、ぞう組さんになったらできることを知っていて、いまから心待ちにしている子どもさえいます。

8月末、関西の姉妹園4園の栄養士が集う「食育プロジェクト」が、本園で開催されました。その際、この「やりきるクッキング」を見学しました。事後、とにかく「驚いた」とのことです。
「包丁、ピーラーが、グループに1つずつしかないのに、すべてのグループにおいて、揉めたり、取り合いにならなかった」、そんな子どもたちの振る舞いに感嘆したようです。そして、このような姿は、ぞう組になって「やりきるクッキング」をしはじめたときから、既に揉めることもなく、毎回、話し合いで解決し、同じようなやりとりをしながら、見事にやりきっていました。
A「私、ニンジンの皮むく!」
B「じゃ、ぼくは玉ねぎ」
C「わたし、ジャガイモ」
D「私もニンジン…Aちゃん半分こしよ!」
A「そうしよ」
E「じゃ、ぼくは皮を捨てる係りするわ」
F「じゃ、私は剥くものないからコーン鍋にいれる係りする」
みんな「いいよ」

ア「わたし、にんじんとなすびやりたい(切る、皮を剥く作業)」
イ「ぼくもにんじんとなすびしたい」
ウ「ぼくだってやりたい」
ア[じゃ、どうする?」
イ「じゃんけんで決めよう!」
ア・ウ「いいで」‥…じゃんけんをし、イとウがにんじんとなすびを担当。
アは、たまねぎとじゃがいもを担当することになった。
というような姿が、常態化しているとのことです。一体全体、どうしてなんでしょう?
その秘密は、昨年、4歳児くま組のときからはじめた「グループ活動」「当番活動」です。
このようなクラス運営は、姉妹園の“ななこども園”(藤井寺市)が7年以上前から、先進的に取り組んでいました。昨年、何度か見学し、それに習って、しっかり自分たちで答えを出すまで話し合う対話中心の保育を強く意識し、当番活動もどんどん日常保育に取り入れてきました。

カレー作りをする前から、「グループに包丁とピーラーは、一つずつしかない。ならば、どうすれば、うまくいくか」と考えていました。「自分がしたい気持ち」と「譲る気持ち」の対極にある心理が、その子その子の中で、そしてグループの中で揺れ動き、混ざり合います。
しかし、最終的には、「カレーを作りきる」というミッションを子どもたちなりに会得して、
自分たちの気持ちを整えようとします。全員の気持ちが「カレーをつくりきる」というところに底上げされるまで対話を深める、その習慣が、グループ全体に及ぶと、おのずとトラブルは激減します。また、1回きりの活動ではなく、「同じメンバー」で話し合い「同じカレーづくり」を
くりかえすことで「譲歩し合うこと」がしぜんに「納得」に進化すると考えることができます。

このような保育がうまく機能した背景には「担任が1人」ということがあります。くま組の時から持ち上がって30名の子どもを1人の担任で担いました。保護者感覚で言えば、子どもの数に対して、先生の数が多いほど「安心」であり、「行き届いた保育ができる」と考えます。
確かにその面はあると思います。けれども、子どもたちがしっかり話し合う習慣を身につけたのは、1人の担任の思いに集中し、感じ取ったからです。競技スポーツでも、監督の思いを果たそうとチームワークがはたらきます。複数担任の場合、子どもたちも、保育者自身もどこかで、依存し合って、担任自身が「やりきる保育」(?)を発揮しづらくなると考えられます。

もちろん、「やりきるクッキング」などを通して、しっかり話し合い(対話)をし、トラブルがないからといって、すべて素晴らしい子どもの育ち(保育)になるとは考えません。我を通し、わがままになる経験、我が通らず、大荒れになる体験、その時々に味わう感情もまた必要だと思います。何があっても、最後は「探求心」と「自分大好きの気持ち」が育ってほしいものです。
「話し合い」と「当番活動」の保育については、現在、くま組でも、定着をめざして実践し、ばんび組、あひる組においても試行しはじめています。

なかはらこども園では、ご承知のように「異年齢での活動」もたくさん取り入れています。
コーナー・ゾーンでの活動では、自分の好きな遊びに興じ、年長児の遊ぶ姿に憧れを抱いて、真似たり、年少者のわがままをやむなく容認したり、自然な気持ちが揺れ動きます。そんな
自然な自分と対話する力を身に着けて協働性のある活動に取り組むカッコイイ自分の両者が、
行ったり来たりしながら、その子らしく成長するのだと思います。 【資料提供:宮﨑友喜】

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≪ユナタン:22≫ at ななこども園
~ 転がす魅力、膨らむ魅力が織りなす仲間意識 ~

平成28年9月23日 片山喜章(理事長)

運動会の練習もそろそろ佳境にはいります。
4歳児あさがお組のAちゃんは、4月当初から、クラスの友達とはあまりかかわろうとはしませんでした。どちからといえば、1.2歳児クラスの子に親近感を持って、一緒にいると安心するようです。2歳児のサーキットや水遊びに自分からすすんで参加しようとします。給食後の自由あそびでも、キシャの玩具などで2歳児の子ども達と一緒に遊ぶ姿も見られます。それでも、あさがお組の子どもたちは、Aちゃんのことをよく知っていて無理に誘うこともなく、Aちゃんの方から近寄ってきた時には「Aちゃん、どうしたん? いっしょに遊ぶ?」など、ごく自然に声をかける姿が見られます。

運動会の練習を始めた頃のことです。まだ「いろいろお試し競技期」でした。単純な競技やこれまで運動会で行った競技種目を色々くり返して、協力を伴う多彩な“動き”を経験しながら、子ども達とともに「本番用の種目」を決めていく時期です。このような練習方法が、教育として望ましいと、当園(当法人)では考えて実践しています。

その日、大玉競技をしました。2人1組になって大玉を転がして進み、途中に2箇所、平均台を横向きに置いたハードルを大玉が乗り越えるよう、2人で力を合わせるところがあります。たまたま大玉が1個しか用意できなかったため(空気を入れるのに時間を要します)対面式で行いました。2人でスタートして、反対側の2人と交替します。
子どもたちは競う相手チームがないのに、自分(たち)の番が来たら、目をキラキラ輝かせて大玉を転がし、平均台のハードルにぶつかると必死に力を合わせて押し越えて、また転がし、行ったり、来たりのくりかえしを何度もなんども楽しんでいました。

そんな、あさがお組の大玉転がしに対して、Aちゃんは、と言えば‥…
スタートして間もない時から、ほぼ最後まで、転がる大玉の魅力に誘われるAちゃんの姿がありました。2人ずつの順番を待って並ぶことはなかったのですが、満面の笑みを浮かべて、大玉をいっしょに転がしていました。2人1組(のつもり)だったのですが、Aちゃんは、ほぼすべてのペアといっしょに参加しました。大玉は、概ね3人1組で転がっては、横置きの平均台のハードルを越えて、また転がる、という状態でした。

それに対して、クラス子どもたちは、と言えば…‥‥。
ごく自然にAちゃんを仲間として受け入れていました。大きな球体が転がる(転がす)ことが、みんな楽しくてしかたない、といった感じです。しかも、途中にハードルがあって、一旦、止まって持ちあげることは、一層、おもしろく、Aちゃんの興味をさらに強めたのでしょう。もしも、2人でおみこしを担ぐ競技ならどうだったでしょう。
まず「2人1組」のルールを守らせようと大人は考えてしまいます。大玉を転がし、途中、力を合わせてハードルを越えるおもしろさの中に、日頃、かかわりの少ないAちゃんが参加して3人組になるのは楽しい、Aちゃんの参加を嬉しく思う子どもたちが、大勢いました(この時期、エンドレス方式で勝敗のない競争にする大事さを再確認)。

次にパラバルーンでの出来事です。大きなバルーンに触れる前に、お部屋にある手作りバルーンで遊んでいると、Aちゃんも一緒に入って遊ぶこともあり、手作りバルーンにくるまって楽しむこともありました。大きな布に体を巻き付けたり、くるまることは、だれもが愉悦を感じる触覚です。バルーン自体に親しみをもったAちゃんでした。

そして、この日、みんなで大きなパラバルーンを握って、広げてバタバタすると(波を立てる)、Aちゃんはス~とバルーンの中に潜り込んで、仰向けになって寝転んで頭上で揺れる“お空”を眺め、バタバタという音や空気の動きを全身で感じ取っているようでした。何人かの子は、Aちゃんのためにバタバタ動かしているようにも見えました。

パラバルーンをみんなで高く持ち上げ、一気に降ろしながら中に入って、お尻で押さえて大きなドームをつくったときのことです。中にいると、まるで“別世界”にいるようなワクワクした気分になります。ドームの外から保育者が両手を広げて“ガオー”と寄りかかるとドームは凹みます。まるで怪物がドームを壊したような状態になり、子どもたちは「ギャー!」と大声をだして、怖がって、面白がります。怪物がいなくなると「もう1回!」と中からアンコールの声があがり、怪物はその度に応じます。中で1つの円になって座り、一体感のある“別世界”の中でスリルをわかちあって楽しみます。

「じゃ、次でおしまいしよう~」と、一旦、外に出て、バルーンを上にあげて,一斉に中に入ろうとした時、Aちゃんだけが中に入れずに、右往左往する姿がありました。
“*‥*‥*‥*”、突然、ドームの裾に穴ができ「Aちゃん、速くおいで、速く!」(怪物が来るから速く)と中から大きな声が聞こえます。Aちゃんはその穴に吸い込まれるように中に入ることができました。ドームの中では、(よかった、よかった、Aちゃん、怪物に襲われなくて)という気持ちが、きっと充満していたにちがいありません。
そこは“別世界”ではなくて子どもの世界、日頃の園生活です。 【資料提供:徳畑等】

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≪ユナタン:22≫ at いけだすみれこども園
~ “いきものがかり”の奮闘記  ~

平成28年9月16日  片山喜章(理事長)

草むらを分け入って、虫を探したり、そっと手で摘みあげたり、お世話をしたり、むかしも今も子どもたちは、特に男の子は虫が大好きです。そんな子どもたちの思いや願いを受けとめようと、本園では、“いきもののかがり”と称して、男性のH保育士が、使命感を抱きながら、その任にあたっています。そんなH保育士は、ちょっとした悩みを抱えていました。

ザリガニ、カブトム、沼ガニ、あげは等々、自分自身の生き物好きを活かして、10種類以上の小動物を収集していたのです。しかし、それらを保育として、どのように子どもたちと出会わせ、触れてもらえばよいか、思案していました。はじめは、2階のクラス前の廊下に「ケース」にいれて展示しました。子どもたちが「ケース」に群がるのは、多くの場合、外遊びに出ようとするとき、外から戻って入室する際、そして登降園時です。

外からお部屋に戻る場合、担任には入室したあとの予定があります。けれども時折、階段を上がって入室する前に、子どもたちは“いきものがかり”のH保育士を捕まえて、廊下で虫について、いろいろ会話します。その眼はきらきらして、H保育士も活き活きと子どもたちの疑問や質問に答えます。会話が弾みます。となると、クラスの仲間全員が、なかなかそろいません。
クラスのお部屋に居る担任の先生たちの「思い」や「視線」が気になります。特に降園時は、お迎えの保護者の方と重なる時間帯で廊下がごったがえして、あまり良くない状態でした。

そこでH保育士は考えました。
「そうだ、思い切って1階の玄関付近に降ろしてみよう」。間口は広く、乳児クラスの子どもたちも生き物たちとふれあうことも可能です。全体の了解を得て、虫や生き物たちを玄関近くに置くことになりました。これで「いつでも、だれでも、好きなときに、好きなものを見ることができる!」とH保育士は意気揚々となりました。が、また、次に問題が起きました。

「生き物エリア」が一か所になったため、「いつでも、だれでも良い」となると、「生き物エリア」が、バーゲンのワゴンサービス状態になり、大勢の子どもが群がって、観察どころではなくなってしまいました。実際、発言力の強い子、声の大きい子がだいたい周囲を取り囲んで、占領する状態が続きました。「ぼくが触りたい」「ぼくが世話したい」と大きな声で訴えてこられると、ついついその子どもたちの勢いにH保育士も圧倒される場面がありました。しかしその陰には、やりたいけれどできない、寂しく不満を抱いている子がいる事を彼は、充分わかっていました。
「さてさて、どうしたものか。これはイカン」。できるだけ多くの子どもたちに、虫を好きになってもらい、お世話もしてほしい。自分自身がそう願って、園からもそう期待されてはじめた“いきものがかり”の仕事なのに‥…。またまた、工夫が迫られたのです。

そこでヒントになったのが、幼児クラスの環境になっている「2つの時計」(1つは現在時刻、もう1つは次にすべき事とそれを開始する時刻=動かない時計)です。子ども自身が、視覚によって見通しをもって、自分の振る舞いや“いま”を理解しやすいように設定した環境です。

これまで、虫たちに触れたり、お世話するのは「自由」でした。「自由」は時と場合によって、混乱や不平等を招きます。そこで目に見てわかる「(止まった)時計」のアイデアを用いました。
まずは、「何時から世話をするのか」を「時計」で伝える。「今日は何の世話をするのか」それを「虫のカード」を作って掲示しました。「いつでも」「何でも」ではなくて、その日は、例えば、「カブトムシとカニ」というようにたくさんの生き物たちから2~3種類に絞り込んで、掲示しました。さらに「コーナー・ゾーン」のマグネットボードに習って、人数制限も設けました。

このような制約を設けることによって、子ども集団には「平等性」や「納得」が生れます。
制約がなければ、したい気持ちが先だって、とにかく、大きな声で言った者勝ち、先に行った者勝ち、になってしまい落ち着いた園生活を築くことができません。
制約を設けたとたんに「時計」を見て子どもが参加するようになりました。毎日、種類が変わりますから、自分が世話したい生き物のときに行こうとする子の姿が増えました。人数制限があるので、一人ひとりがお世話できる時間が長くなり、せかされることなく、ゆっくりできるようにもなりました。毎日、「視覚情報」が、子どもたちに届くので、それが「安心」や「納得」、そして、「我慢」する気持ちを自然に育みます。このような「生活規範」をつくっていくことが「落ち着いた保育の基本」であると考えます。H保育士なりのがんばりでした。(パチ、パチ、パチ)

これから、さらに新たな保育課題も生まれるでしょう(実際、起きているかもしれません)。
虫を触りまくることは、早死の原因になります。また乱暴に扱うこともあります。こんなとき、どうすればよいでしょう。(私自身、幼少期、ずいぶん残酷な扱いをしてきました。個人的感想ですが、時代の進歩とともに、残虐な扱いをする子の数は激減し、慈しみを抱く子が増えていると思います)

今、生き物たちがしんだとき、なんでだろう?と話し合ったり、お墓をつくって土に還したりしているようです。今後は、ただ単にお世話するだけでなく、その生き物について、図鑑や保育者と共にネットで調べる環境や日常をつくって、実際に触れながら「知識として理解」することも「生き物への愛情」と捉えた保育を展開すると期待しています。 【資料提供:星野 悠也】

2016年9月23日 金曜日

≪ユナタン:22≫ at もみの木台保育園

~ ドミノにならない!?(援助の仕方を考える) ~

平成28年9月15日: 片山喜章(理事長)

 朝のコーナー遊びの時間、A君(2歳児クラス)は「おままごとコーナー」で遊んでいました。
その隣の「積み木コーナー」では、Y先生と数名の子どもたちがドミノ倒しをしていました。
ドミノ倒しでは、Y先生が並べたものを子どもたちが倒す遊びで、順々にドミノ(積み木)が
倒れるたびに“ワ~~”という歓声が子どもたちからあがっていました。
“なんだか楽しそうだな~”とその歓声につられるように、「おままごとコーナー」で遊んでいたA君は「積み木コーナー」にやって来て、倒している様子を見ては、他の子どもたちと同じように、「すごいね~」と言いながら目を輝かせていました。

物が一度に倒れるのではなく、順々に倒れていく姿は、魅力的なのかもしれません。物事に始まりがあって、終わりを迎える時間の流れを実感するのかも知れません。打ち寄せる波もそうですし、ホラー映画の徐々に迫り来る恐怖もまた人間の中に潜んでいる性なのかもしれません。

順々に倒れるドミノを何回か見たA君は、自分でしたくなったようです。しばらくすると少し離れたところに行って、ドミノ倒しを始めました。けれども、少し並べて倒してみましたが、倒れませんでした。なぜなら、A君の造ったドミノは間隔が狭く、積み木どうしがくっついたままで、押しても傾くだけで倒れまでに至らないのです。何度トライしても倒れませんでした。

2歳児のA君にしてみれば、積み木どうしの間隔が広くないほうが、倒れる力が強くなる、と感じるのでしょうか、何度、試しても、積み木どうしの間隔は広がりません。
とうとうA君は「できない」とY先生に訴えてきました。その様子をずっと見ていたY先生は、保育者としてのかかわり方を考えます。要領を伝えれば、それで済むことなのですが・・・・。
Y先生は「どうしてだろうね?」とさらっと声をかけました。A君は、“もどかしさ”を先生に説明するために、実際にやってみせました。並べていた積み木を一度崩して再び並べました。
けれども、並べ方は同じです。間隔は狭いままです。そのとき「間隔を開ければよいのに」と教えてあげることもできましたが、Y先生の気持ち(考え)は、倒れませんでした。

その後も何度か、“並べて⇒押して⇒倒れないから崩す。並べて⇒押して…”を繰り返すA君でした。粘り強さを感じるほどです。Y先生は、その隣で他の子どもたちとドミノ倒しの続きをしました。(A君、気づいてくれればよいのに、という思いがよぎります)。けれども、A君は、その輪に入ることなく、なんとか自力でドミノが倒れるようにがんばっていました。
そんなA君に思いもよらぬことが起きました。「違うコーナー」で遊んでいた子どもが来て、理由は定かではありませんが、A君が並べていた積み木を1つ取って行ってしまったのです。
おもわずA君は“とらないで!”と訴えます。悔しくて必死に返してくれるように訴えましたが、戻ってはきませんでした。その子どもがとった積み木は、たまたまいくつか並べていた間のものだったので、積み木と積み木の間の間隔が広くなりました。間隔の空いた積み木をじっと見て、そして、隣で並べていたY先生の積み木をそっと見て、A君は、しばらく見比べていました。

何かを思いたったのか、何かに気づいたのか、A君は「返して!」と訴えることをやめて、自分のドミノの端の積み木を押してみました。すると、ほんの少しドミノのように積み木は倒れました。A君は、さらに隣で並べているY先生のドミノ倒しを観察しながら、間隔を広くあけて、積み木を並べ始めました。(!!!)それでもまだ間隔が狭かったり、逆に広すぎたりして、うまく倒れないこともありましたが、「原理」は、感得したようで、全部うまく倒れると嬉しそうな表情になり、ドミノ倒しを楽しむことができました。

このエピソードをY先生は、振り返ります。
最初にA君が「できない」と訴えてきた時、「どうしてだろう?」と声をかけただけで、一緒に積み木を並べたり、並べ方を伝えたりしなかったのは、A君がみんなでしている輪に入らないで自分から進んで、積み木を並べようとチャレンジする姿があったこと。そして「やって!」と自分(Y先生)にお願いしなかったからだったと言います。さらに「できない」という訴え(発言)は、“どうして倒れないんだろう?”と必死に考えた故に出た言葉だと感じ取った、と振り返ります。もしも「できない」と言ってきた時、多くの保育者(大人)がするように「こうするんだよ」と伝えていたら、何度もチャレンジし、考える機会は持てなかったでしょう。

今回、偶然、友達に積み木を取られたことで「本来のドミノ倒し」に気づくことができたA君ですが、もしも、このアクシデントがなければ、どうだったでしょう。
少し時間がかかっても、気づいたかもしれないし、その日はそのまま達成感を味わうことができなかったかもしれません。だれもわからないし、そんな仮説を考えること自体、無意味だと思います。それよりも、保育者が、その子のその場面、その瞬間のほんとうの願いを読み取ろうと努め、必要な援助の仕方を探りだそうとすることこそ、まさに保育(者)の極意と言えます。

A君の願いは明らかに「自分の力できるようになりたい」でした。それを察知するには、常日頃から「自分で考える子ども」「自分で試そうとする子ども」という理念を保育者自身の器の中に叩き込む必要があります。いま、教育界は「正解主義」から「考える教育」に改革しようと動き始めました。今回、1つのモデルを提供したような事例でした。 【資料提供:佐藤 廉菜】

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≪ユナタン:22≫ at  みやざき保育園
~ 興味・関心から探求心へ ~

平成28年9月20日 片山喜章(理事長)

 3歳児みかん組で飼っていたカブトムシが、しんでしまって、お帰りの後、園庭に埋めることになりました。クラスの中でも大のカブトムシ好きのAくんは、いつも「カブトムシだしていい?」と時間を見つけては担任にお願いして、かごから取り出しては触って楽しんでいました。小さく不思議な形をしながらも、そこには命があって、いろいろ考えながら動いて生きている昆虫の姿は、興味・関心をそそり、可愛さを感じます。
大好きなカブトムシのうちの1匹が死んでしまって埋葬(?)するとき、Aくんは、どんな気持ちだったでしょう。

園庭にでるとBちゃんが弱っているセミを見つけて捕まえて遊んでいました。それを見たAくんは、「かわいそうだよ!優しく触らないとだめだよ」と声をかけ、すでにしんでしまったセミを見つけると「動かないね」「かわいそうだから埋めてあげよう」と言って、自分で土を掘ってセミを埋めてあげていました。Aくんはどんな気持ちで、セミを埋葬したのでしょう。寂しさ? はかなさ? いのち? じぶんという存在?

5歳児りんご組の男の子たちも、虫が大好きです。むかしも今も変わらない姿です。園庭にはヤモリがいます。虫好きの少年たちは当然、トカゲとの違いをしっています。
先日、園庭にいるヤモリを発見! 木の穴に入り込んでいます。やすやすと捕まえることはできません。そこで相談。「細い棒でつついてみよう!」とつついてみると……、
“出て来た!”のですが、物凄い速さで木の上まで登って行ってしまい、また、相談。
ア:「罠を仕掛けておこうよ!」 イ:「ヤモリは夜に光っているところに集まるはずだから、懐中電灯とか、何か光るものがほしい!」。他:「夏祭りでもらった、光るブレスレットは?」「それいいね!」ということで、事務所の先生にお願いして、木の穴の入口にエサとして刻んだニンジンを大量に仕掛け、そこにブレスレットを光らせて、一晩置いておくことにしました。

さて翌日、木を見てみると、仕掛けたニンジンがすべてなくなっていました。
「やっぱり!ここはヤモリの巣なんだ!」と子どもたちは得意げな表情で大喜び♪
その日の夕方、意気揚々とまたまた、相談。今度は“ヤモリホイホイ”と称して、箱を作って、また仕掛けていました(箱の中には粘着成分を入れていませんでした)。
結局、捕まることができないまま、お盆休みに入ってしまいました。
子どもの興味・関心は、猛暑のなかで熱くなっても、時が立てば冷めることも多々、あります。お盆明けには、「ヤモリ捕獲作戦」は無くなっていました。けれども、いつまた再燃するかもしれません。子どもの興味・関心は、絶えず目の前に在るものに刺激されて生れでます。そこでの出会いや自分の行動の結果から学習することが多いのです。
「ヤモリホイホイ」のアイデアにしても、子どもたちは常日頃からコーナー・ゾーンによる制作環境の中にいるので「つくる」ことへの興味・関心は高く、難なく「つくる」ことを思い付き、即座に実行できたのでしょう。

お盆明けには、カブトムシが卵を産み幼虫になりました。ザリガニも赤ちゃんを産みました。りんご組の子どもたちにとっては、嬉しい出来事が続きます!
いまのりんご組は、4歳児ぶどう組の時もカブトムシを飼いました。でも、みんなで1日中よく触って遊びすぎたためか、早くしんでしまいました。
昨年のりんご組も飼っていて、そのカブトムシたちは長く生きました。お世話の仕方に何か工夫でもあったのでしょうか。実は、図鑑等で飼い方を調べていたのでした。

昨年の卒園お祝い会では、いまのりんご組はぶどう組として、卒園児に対して「お祝いの言葉」をみんなでいう場面がありました。みんなで考えたそのときのセリフが‥‥
「あやとり教えてくれてありがとう。」
「給食当番してくれてありがとう。」
そして、「カブトムシ、大事にしてくれてありがとう。」でした。

今年は、去年のりんご組に習って「どうしたら、飼っている虫たちが長生きするか」、「どんなタイミングで赤ちゃんが生まれるか」など、単なる虫好きにとどまらないで、「興味・関心」が「好奇心、探求心」へと飛躍したのでした。“かわいがる”とは、もて遊ぶ事とは違い、図鑑を観て、飼い方を調べて、虫を理解し、お世話の仕方を考えるという事です。そんな姿に変容しつつあるりんご組の子どもたちです。
(今年度、カブトムシは、幼児クラスごとに飼いました)。

こんなふうに、子どもたちがカブトムシやザリガニなどの生き物に接して、きちんと調べて、お世話をするようになった背景には、飼育の文化が3歳児、4歳児、5歳児と日々の保育の中でしぜんな形で伝承されているからだと思われます。
そして、首都圏の駅前にある保育園なのに、虫たちがたくさん棲んでいる園庭のある環境に感謝せざるを得ません。※ きっと、みかん組のAくんもりんご組になる頃には虫博士になっているに違いありません。   【資料提供:谷川真由/川崎かおり】

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≪ユナタン:22≫ at 世田谷はっと保育園
~ 給食アナウンスのレシピ ~

平成28年9月20日  片山喜章(理事長)

♬ピン、ポン、パン(例えば)「きょうの、きゅうしょくは、伊勢海老のおつくり、と、フカヒレスープと・・・」と、毎日まいにち、12時前になると館内放送が入ります。アナウンスするのは、つばさ組の子どもたちです。その日の献立と、ちょっと知らせたいこと(今日は中秋の名月です)、そして放送の最後には自分の名前を言って終了です。「園全体に放送する使命を担って、(先生が作成した)原稿を読みあげて、度胸をつけること」と「その日の献立や食材の名称を知ってもらう、いわゆる食育の一環」として新年度早々、にわかに始まりました。このような初物の取り組みは、取り組みだしてから《紆余曲折》を経て、定番活動になるのが一般的です。

当初、ぶっつけ本番で原稿を読んでいました。読み方が途切れ途切れになるので、そこを改善し、今は、放送前に事務室で“下読み”をしてから放送しています。毎日、給食前に「今日は誰がするの」と尋ねて、“自分がやりたい”という意思や主体性に委ねていました。何となく子どもたちの間で、順番があるような、ないような…。結果的に全員経験しましたが、ふたまわりくらいしだした頃から、アナウンスすることへの興味が徐々に薄れていく感じがしてきました。

そこで、子どもたちと話し合いの場を設けました。「今後も、つばさ組で続けるのか、そら組に譲るのか」という選択から話し合いは始まりました。「つばさ組がする!」とみんなが声を上げました。このようなケースでは、ふつう“では、する順番を決めよう”となりがちですが、子どもたちの中に主体性を重んじる価値観が育った?のか、事前に献立を見るなりして、やりたくなれば、自分から“やりたい”ときちんと申し出て、アナウンスをする、と決めました。このような決め方をした事でかえって“クラス全体の意欲”が、とろ火から強火に変化しました。

お家で献立を見てくる子、園で先生にその日の献立を聞いて申し出る子、アナウンスしたい子にその日の献立を教えてあげる子、毎日、ふしぎな形の“やる気”が現れ出ました。
そんなある日、AちゃんとBちゃんが、献立をお家でメモして持ってきました(意欲満々)。その日はプール遊びがありました。プールでは、水遊び中心の「ちゃぷちゃぷチーム(前半)」と、泳ぎ中心の「すいすいチーム(後半)」に分かれて、その時々の気分によって各自が選択します。
後半は他のクラスが給食をはじめる頃にあがるので、アナウンスタイムには間に合いません。そこでAちゃんは、前半を選び、泳ぎを楽しみたいBちゃんは後半を選びました。
Aちゃんは、早々に事務室にやってきて「私がします。原稿もお家で書いてきましたから」といって事務室にいた先生たち(私も居ました)を驚かせました。さてこの先、どうなるやら…
「じゃ、おねがしま~す」と事務室にいた先生は、あっさりAちゃんにマイクを預けました。
一方、プールをあがったばかりのBちゃんは、Aちゃんの声が館内放送で響き渡ると、窓越しに事務室を覗き込み、アナウンスするAちゃんの姿をじっと見つめていました。 「‥……」。
この《状況》を把握した私たちは(私も園長も全職員)“このままではよくない”と数日かけて、そもそも論から話し合い、あれこれ提案し合いました。が、最終的に決まったことは、やはり、“子どもたちに今回の《状況》を話して、意見を出し合って、解決策を出す”でした。

まず、みんなはどうしたいか2グループに分かれて話し合うことになりました。①のグループはドキドキしてしまう子から順番にする案を提示し、②のグループは低月齢順にやる案を提示しました。そして、それぞれ意見交換しわかちあいました。2グループとも、ドキドキしてしまう子も「自分もする」と言い、全員がこの役割を担うことで一致しました。
次は順番です。この時に優先されたのは、放送するのが恥ずかしく避けてきて子たちの意見でした。「どうしたい?」と聞かれたCちゃんはみんなに「ドキドキするから、先にやりたい」と言いました。「それならCちゃんからやろう」と即決。そして、Cちゃんの後は、月齢の低い順に決まりました。どうしても恥ずかしくて言えないときは、助っ人をお願いしても良いことになり、給食当番の中から、1名を選んで、いっしょに行くことも了解されました。

「決まったこと」を園長、副園長に子どもたちが報告に行くと「いいですよ。でも担当の子がお休みの場合どうする? 家で準備したかった子は困ってしまわないかな。順番もわからなくならないかな。もう一度決めてきてね」と言われ、再度クラスで話し合いました。そこで決まったことは「月齢の低い子から」「サポートは1人だけ」そして「お休みのときは、そらぐみにお願する」。さらに、アナウンスをする際、「11時55分に事務室へ行き、入るときは“名前”を言って“しつれいします”と言ってから入る」。終わったら「ありがとうございました」とあいさつし、事務室をでる時は「しつれいしました」と言ってドアを閉める。と休んだ時の順番を決める話し合いに、いっぱい、いっぱい《おかず》がくっついた話し合いになりました。

本園では、話し合いの習慣(文化)が、かなり定着してきたようです(保育の基本です)。
また、ドキドキしてしまう子への配慮、そして、ドキドキしてしてもやると決意する子など、個々のこころの成長も感じます。小さい子(月齢の低い子から)から、と意見が出た背景には、ゲームコーナーの中の1つのゲームに「プレイヤーの中で1番年下の子からスタートする」というルールがあります。それが影響したなら、このゲームの栄養素が機能した気がします。
(例えば)「‥‥、……、きょうの おやつのクラッカーには キャビア がのってます、…‥」と毎日1分程度のアナウンスです。しかし、そこには、上記のような“下ごしらえ”や“下味”が施されていたことをご理解いただきたいと思います。  【資料提供:長島 萌:松本悠佑】

2016年9月16日 金曜日

     ≪ユナタン:21≫ in 種の会
~ オリンピック競技と運動会の主役 ~

平成28年9月9日  片山喜章(理事長)

運動会は、オリンピック同様、本番1度切りのものです。ですから“本番の雰囲気や盛り上がり”“種目のおもしろさ”“当日のわが子の姿”が、保護者の評価(結果)になります。
本番、力発揮できなかった子に対して担任は「練習中はすごく良かったんですけどね~」と、その子の保護者に慰めの言葉をかけることがあります。けれども、結果を一番気にしているのはその子自身かもしれません。親が落胆しすぎても、過度な慰めやフォローをするのも適切ではないと思います。「出来、不出来よりも、大勢の観客に応援してもらったワクワクドキドキ経験」に大きな教育的価値があると、再度、確認したいと思います。本番、その子が雰囲気に圧倒されて固まったとしても、その経験はその子のその後の成長において、きっと「宝物」になる、そんなふうに見通して、わが子を信じる親心が、21世紀型の教育ママのマインドだと思います。

ご存知のように、私自身、「運動会」に関する“すばらしい”図書を何冊も発刊しています。関係性を深める「種目内容」と子どもが最大限に力発揮できる「独自に開発した練習方法」が記されています。30年以上、毎年(今年も7回)、全国各地から講習会に招かれ、法人各園も、私に導かれて企画しています! と、こんなふうに事実を“誇示”すると不快に感じませんか?
謙遜することが美徳とされる日本の文化の中で、ここ1番で物怖じしない強い精神(日本人の苦手な分野)を育むには「謙虚」「控えめ」を美徳とする風土を見直す必要があると考えます。
現在の課題である「自己肯定感」や「自尊感情」を育むには「友達や自分の良いとこ探し」を教育・保育の要に据えて、世の中が後押しする、そんな風土づくりが必要であると考えます。
今後、ますますITに浸食される子どもたちが、“自分のがんばり”を臆せず堂々と語り、周囲はそれを是認する、そんな日常をつくりだす事が日本的課題だと思います。それが、その子の力を伸ばし、困難を乗り越える人格を形成していく……。日本の保育者や学校教師だけでなく、行政の慣習や企業文化においても、そうあるべきだ、と五輪を観戦していて強く感じました。

五輪出場をめざし、さらに、そこでメダルを取るためだけに自分を律し、体力の限界まで自分を追い込むことに最大級の生きがいを感じる(他方で人格崩壊の現実もあります)。ほんとうに人間とは、不思議な生き物です。より多くの人たちに称賛されたい。そのための必死の努力が、人格を磨くように思われます。“自分らしく生きる”とは、自分が社会から認められるために、多彩に“自分磨き”するといえるかもしれません。他方で、紛争地などで困窮した人たちを支援する献身的な生きざまもまた“人間らしさ”として敬服します。「では保育という仕事は、一体どっちだろう?」とふと我に返り、“わたしらしさ”を考える機会を得た五輪でもありました。
運動会の練習にはどんな意味があるのでしょう。バルーン演技では「一斉に戸外に出て振り付けを覚える」という日本の旧態依然とした練習方法を脱して「振り付けは動画を見て覚える」(子どもの覚える力は大人の数倍)⇒「自分たちが覚えたことを演技してみる」⇒「自分たちが演じたものを動画に撮る」⇒「動画を観て振り返り(対話)をする」というのが基本手順です。覚えたことを観てもらう以上に、子どもどうしで対話することが、これからの教育(保育)です。
その意味で法人各園は、時代を先取りしていますが、問われるのは「対話の内容」です。
これまで、自分たちの演技を動画で見て“不出来な部分”を子どもどうしが指摘し合う対話がありました。子どもどうしが指摘し合うと、先生は「助かる」という本音があります。しかし、友達のミスを言い合って完成させる過程は好ましいのかどうか、大きな疑問が出てきました。

最近、良かったところだけを互いに発言し合う対話が、よい成果をもたらすことがわかってきました。実際、自分たちの出来栄えを動画で見た後、「友達の良い所探し」をどんどん発言すると、子ども集団はぐんぐん明るくなります。友達どうしが互いに褒め合う経験は、友達(他者)に対して、寛容になる精神を育み、それはやがて自分を褒める(自己肯定)精神と根っこの部分で繋がっていくように思います。このような褒め合いのなかで、演技の完成度を上げるために、先生が指導!すると、子どもたちの改善意欲はぐんと高まり、好結果を出そうと奮闘します。

アートなどの世界も同じようなことがいえます。自分の作品を他者に認知(評価)されて、ようやく「表現」という範疇で扱われる時代になってきた感じがします。1、2歳児の製作活動は「探索活動(科学の心)」と考えます。4、5歳ともなれば、導入法はさておき、1つ1つの作品に対して、友達から褒められる合評会をしたり、その作品を額にいれて展示して、はじめて、その子どもの「表現」と考えるようになりました。幼児教育界に広がってほしい考え方です。

では、保育園(こども園)の子どもたちにとって、「運動会」は、どんな表現でしょう。
種の会オリジナルの練習法は「覚える」ことではなく、「覚えたモノで対話する(褒め合う)」と前述しました。本番、物怖じしないためにも、練習中、子どもどうしの褒め合いは有効です。
組体操の練習では、子どもどうしが、ぶつかり合い(激しい対話)を重ねます。練習のたびに葛藤したり納得したり、達成感を味わったり苦味を味わったり…。その経験の積み重ねによって、本番までに強い仲間意識が育まれる、そんな見通しをもった練習方法(教育方法)です。

最後に、本番、最も重要な役割を担うのは、観客です。全保護者が歓声を上げ、全種目、全園児に拍手や大声援を送っていただくことが大事です。五輪のメダリストたちは言います。
『日本のみなさんの熱い声援に後押しされて、メダルがとれました。感謝します』と。
みなさん、全園児を後押しして、全園児から感謝される存在になろうではありませんか!